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[兄が死んだ④] 老害を恐れろ!②

老害を恐れろ!①の続きです。


 私は電話で、祖母に声を荒げてしまった。
なんともみっともない光景だっただろうか…。
今、一人で本当に良かった。

 夫は娘を保育園に送りに行ってくれている。
夫に見られなくて良かった…
いや、逆に夫がいたのなら、こんなに取り乱さずにいられたかな…
少し冷静になる。
ああ…キレた時点で私は負けだ…
同じ土俵に立ったのだ…あんな婆さんと同じ土俵に…
普段から祖母は、助言という名のお節介が激しい。
それに対しての対応は「そうなんだ。はいはーい」が正解だ。
その一言を言えば、満足してくれる。
別にお節介は真に受けず、翌日には忘れればいい。
何年もできていたことが、今日はできなかった。
何故だろう。
もしかしたら、私は私が思っている以上に身体的にも精神的にも疲れているのかもしれない。
余裕がなかった。
もう勘弁してくれ。お願いだからそっとしてくれ。1ヶ月は身内と会いたくない。連絡もよこさないでくれ。君等はもうお腹いっぱいなんだ!
その感情が自分が思う以上に、強くあったのかもしれない。
 自分の感情を整理するために、文字にする。
noteに書いている途中でどんどん新しい自分の感情が溢れ出てきて、泣きながらキーボードを打ったのも1回だけだけどあった。
私は私の感情を整理するのが、昔から不得意だっだ。
このように文章に起こすことで私は自分とやっと向き合える。
亡くなった後の儀式は終わった。
自分のグチャグチャした感情の整理も、概ねだができた。
あとはゆっくり時間をかけて少しずつ整理していこう。
そんなタイミングに、祖母に電話をかけた自分が悪い。
嫌な気分になる予測はできたはずだ。
30歳になり、身内の人間関係を見直そう。と決めたところだったのに。
きっと明日、すべての榊が枯れているのでは…?


 ひと呼吸おいた後、父に電話をかけた。
祖母の"100万あげた"が妄言なのか事実なのか。
「ああ、100万なあ。渡されたなあ」
事実だったかあ。
「お金、ないの?」
「ないってわけじゃないけど、あるってわけでもねえなあ。この前車買ったばっかりだしなあ」
「株とかで、現金がすぐに準備できなかったってことであってる?それとも本当にお金がないってこと?」
我が家は現金は最低限にして、他は投資にしている。
現金化するのに多少の時間がかかるから一先ず借りたのか、本当に金銭的援助が必要で祖母に頼み込んだのか知りたかった。
父は確かに最近、現金で車を買った。
でも、こういう緊急時の現金は残して買うのが当然ではないだろうか…?
「まあ、今は、多分?大丈夫だけど?足りなくなるかもしれないなあ。まあ、その時は頼むわー。貸してくれやー」
はい?電話で言うことじゃないだろ。なぜ昨日その話しをしなかったんだ。
この父の言い方は、きっと現金を残さずに車を買ったのだろう。
それにいくら身内だとしても、電話一本でお金の話しをこう軽々とするものなのか?
「あのさ、独身じゃないんだよ。もう私だけのお金じゃないんだよ。子どものジュニアNISA滑り込み投資したり、子どもの足枷ならないように、老後資金の準備したりしてるんだよ。来月に子ども生まれるしさ。普通にお金出してって言ってくれたら、普通に払いますよ?ただ簡単にみたいに言わないでくれるかな。それと、今後一切、あなたの母親の連絡は取りません」
「おいおい、そんなこと言うもんじゃないぞ…」
「いや、もう、私の人生をこれ以上あの人に左右されたくない。お金が必要になったら早めに言って」
電話を切った。

まーた、キレてしまったー…。
今日はもうダメな日だー。
とりあえず祖母の電話、着信拒否設定にする。

父からLINEがきた。
「兄のことで揉めるのはやめてくれ」
あー。全然伝わらないんだなー。
揉めている原因は兄じゃないでしょうが。
父・祖母と昔から意見交換ができたことがない。
私が話し下手なのも悪い。
思い返すと、私は自分の意見もまともに伝えられていない。
父・祖母とは、意見交換ではなく人格否定に移行してしまう。
やはり修復不可能な嫌悪感があり、相手を傷つける言葉ばかりが思いつき、沢山溢れ出てしまう。
わかり合おうとか、助け合おうとか、そういうことはもう無理な次元なんだ。
父・祖母からしたら私に対して「こいつ何言ってるんだ?何考えてるんだ?」なのだろう。

 そもそもなんで私は、50代のおっさんに、こんなこと言わないといけないんだ…。
お金のことが、シビアな話しなのはわかる。
娘に「お金ないの?」と質問されプライドが前に出てしまうのもわかる。
 でも私のお金はもう私だけのものではない。
我が家は共同財布だ。
それに、恥ずかしながら夫がお金の管理をしてくれている。
夫はお金の勉強がわりかし好きで、老後問題を日本政府が助けてくれるなんて微塵も思っていない。
それに反して私は…
いや、適材適所ってやつなだけです。
夫はシングルマザーで育ち、親の苦労を近くで見てきたためお金に対してきっちりしている。
 そもそも父の今の年齢・生活を考えると、収入は多いのに支出が少ない時期のはずだ。十分貯蓄もできるはずだ。

 子どもにお金を多少なり残してあげたい。
でも日本の低賃金ブーム真っ只中で、高所得者ではない我が家には、もしかしたら難しいかもしれない。
でもせめて自分たちが老後になったら、子どもの足枷にはならないように、自分達のことぐらい自分達で解決したい。勿論葬儀代なども子ども達が払わなくて済むようにしておきたい。
そう思うことって、別に立派な考えではなく極普通のことではないだろうか…?

 祖母はよく「私があんたら(孫)の面倒をあれだけみたのだから、恩を感じるべき」と私に言っていた。
きっと根本は“それ”なのだろうな。
だから祖母は父にお金をせびるし、父は祖母からお金を平気で受け取り、私と弟に平気で送金させることもできるのだろう。
 元々信用していた訳ではないが今回のことで、父の行動・言動は嘘ばかりなのではないだろうか?この人は、プライドを軸にして生きているような人なのではないだろうか?と思うようになった。



 「にぃは、精神科じゃなくて心療内科だったんじゃないかって思うんだよなー。俺は」父のこの言葉を聞いた時、
私は、嘘だろ。と思った。
椅子にかけて話していたのだが、2人の間が遠くなっていくような感覚になった。
父の発言が間違っていると思ったわけではない。
ただ、父の素振りがあまりにも平然としていたのだ。
もしかしたらだが、父は兄の自殺に、自分は原因の一部になった可能性があると微塵も思っていないのかもしれない。

 私は、兄を愛することができなかった。
それは事実だと、認めることにした。
それでも、兄を拒絶し続け救おうとせず、自分だけ幸せになることに必死だったことは、十分に兄を自殺へと追い込んだ一因だったと思う。私の残りの人生、もうこのことは私の一部となり付いてくるだろう。ずっと考え続けるだろう。

 私が、父と祖母に対して感じていた違和感の正体が分かった気がした。
この2人は、兄の自殺を事故だと思っているのだ。
自分たちのせいではない。と。
精神疾患のせいだ。と。
確かにそうかもしれない。
事実はもう確認しようがないのだから、そうなのかもしれない。
でも、何かしらの精神疾患になったきっかけは、兄の場合生まれつきのものではなかったはずだ。
兄の精神状態が異常をきたし始めた時期は明確だったはずだ。
 父は、小学生の兄に暴力を振るったのを忘れたのだろうか。
顔を殴った。
顔全体が青ざめて、倍ぐらい腫れていた。
もう、本当に兄と分からないぐらい腫れていた。
何回ではない。何十回と殴った。
それをきっかけで公となり、児童養護施設に入所することになった。
ただ、殴ったことはきっかけってだけだ。
顔面ボコボコ事件以前から、明らかなる虐待はあったし、里親になる場所を子ども達に決めさせようとしていたことも知っている。
こんなに分かりやすく、目に見える虐待の事実を、よくなかったことにできたものだ。

 自分のせい。だと内心思っていても、認めたくないだけなのかもしれない。
父や祖母に本心を聞いた訳ではないし、私も自分の本心を言っていない。
もう、そういう間柄ではない。
 ただお前らは、そうやって、残りの人生、被害者ぶり、自分は可哀想だと思い、自分達のせいではない。自分は間違っていない。間違うことはない。と自分を偽り、他人を偽り、最後は一人になっていくんだ。そうやって死んでいけ!この老害どもが!と思ってしまった一日だった。


夫に私のこのドロドロを話した。
「きっとさ、いつの間にか気付かぬうちに老害になっちゃうんだよ。感染症みたいに。俺ら本当に気をつけよう。お互い、歳とっても間違っていることは言い合おう。変化に対して拒絶から入らないようにしようね。」
私は誓った。
老害にならない。
老害になることを恐れよう。
脳を鍛えるには運動しかない。
出産後、ランニングマシーンを買おう。



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