映画「MINAMATA-ミナマタ-」感想~大丈夫!説教臭くない!
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テレビでよく見る環境活動家にとってこの映画は手放しで喜べるものなのだろうか。ジョニー・デップ演じるユージン・スミスを観ているとそんな風に思えてきた。
1971年、ニューヨーク。かつては『LIFE』誌のエースカメラマンとして名声を得ていたユージンも今では家族に見放され、酒浸りの生活を送っていた。ある時、日系アメリカ人のアイリーンから熊本県水俣市で工業汚染によって苦しんでいる人々の写真を撮って欲しいと頼まれる。
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「環境問題」という大きなテーマがある作品だとどうしても腰が重くなってしまうが、結果的には食わず嫌いしなくて良かったと思った。説教臭さはなくドラマとしての盛り上げ所や意外な展開もあって充分面白い。それが史実通りなのかは置いておいて。ストーリーより主張が前に出すぎる作品ではないので安心して楽しめる。大勢の日本人キャストの中にジョニー・デップがいると浮いてしまうのではないかと危惧したが、そんなことはなかった。いい意味でまったくジョニー・デップっぽさがなかった。逆に真田広之の方が(演技の熱量?温度感?)浮いているように感じた。
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劇中、ユージンの人間臭さを感じる場面が沢山出てくる。水俣病により手足がうまく動かせない少年・シゲルがカメラの使い方を習おうとユージンに話しかけるが、それをめんどくさそうに断る。アイリーンにたしなめられ嫌々ながらも熱心に教える姿に人間性がにじむ。「かわいそうだから」みたいな上から目線の押しつけがましさがないのが好感が持てる。
アイリーンからちょっと買い物に出かける間だけ、重度の障害により寝たきりのアキコの面倒をみて欲しいと唐突に頼まれるユージン。はっきりと断るも強引に押し付けられ動揺する。この場面の困惑っぷりが本当に良い。そりゃ嫌だろうよと笑ってしまう。この「笑っていいんだか悪いんだか」と思うような綱渡りのユーモア好きの私にはたまらないポイント。今作で一番好きなシーン。
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ユージンにしてもLIFEの編集長ボブにしても何も正義感だけで水俣病を取り上げているわけではない。ユージンは家族に戻ってきて欲しいという思いでかつての名声を取り戻そうと奮闘する。編集長は低迷したLIFEに勢いを取り戻すべくユージンの写真を掲載する。それがセンセーショナルならば雑誌は売れるからだ。聖人君子なんかではない。水俣を利用するというと言葉は悪いが、あくまでもWIN-WINな関係が成り立っている。水俣の住民たちは世間に知ってもらうことで裁判や交渉がうまくいけばいいのだから。
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この映画では、悪いことをしたやつが公正に裁かれるという当たり前のことしか描かれていない。私は直接的な被害者でもないのに環境運動・活動されている方を見ると胡散臭さを感じてしまう。何の為に彼らはやっているのだろうか。もちろん今回のように当事者が立ち上がるというのは分かる。ただ漠然と「善き事」とされていることのために正義を振るうのに気持ちよくなっているだけなんじゃないのか。私にはどんなメリットがあるんですか?そういう意味で水俣を名誉挽回のチャンスとしたユージンや編集長の方がよっぽど気持ちがいい。テレビで見るグレタさんは何であんなに怒っているんだろう。