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わたしはごりら。〜劇的ビフォーアフター〜


私は自分の思い通りにいかないことがとても苦手だ。予定していた段取りが狂うと投げ出したくなるタイプ。中高生のころは箸が転げても笑う年齢だと一般的には言われるが、私は端が転げても怒っていた。大人になった今はそんなことも少なくなってきたが、怒りの感情がまだ衰えていなかった23歳のころ、55歳の母親から「命の母」をそっと渡された。命の母のパッケージには「更年期の症状に、☑️イライラする」と書いてある。いつも穏やかでひまわりのような心の持ち主で教育を生業とする母親は幼い頃から私の感情に振り回されて非常に大変だっただろうとそのときふと思った。母親は夜寝る前に本を読むことをルーティンとしていて、常に寝室に本を数冊置いていたのだが、教育本がやたらと多かった。もちろん仕事に関連しているからということもあると思うが、本のタイトルはそれっぽいものが多かった。「キレやすい子の育て方」「多様性」などなどだ。そんな本のタイトルを見て私はさらに「本に攻略されて溜まるか」と心の中で怒った。幼少期は勝負に負けると物を投げる、うまくいかないと物を投げる、何かに腹が立つとおかしを投げまくる、とにかくゴリラのように物を投げまくっていた。ゴリラのように、と書いたが動物園にいるゴリラはどうも、ものというよりう◯こを投げるようだ。なぜ投げるのかエビデンスは見つけることができなかったが、某ネット疑問解決サイトのベストアンサーには「ゴリラのオスは気に入らないことがあると糞をなげつけます」と書いてある。そう、まさに私だと思った。(う◯こを投げつけたことはありません)学生の頃に動物園に遠足に行ったことがあるが、クラスの男子がゴリラのウホウホと形容される行動をとにかくバカにして檻の外からギャーギャー騒いでいたのだが、それを見たゴリラは顔を真っ赤にして(いたように見えた)室伏広治さんの砲丸投げ競技並みに思いっきり体を2回転させてその辺に産み落としていたう◯こをこちらに投げつけてきた。その草は5メートルはある柵をゆうに超えてこちらに落ちてきた。その様子をみた私はゴリラの勝ちやな、と心の中で拍手を送った。
話を戻そう。自分の中でそういった怒りの感情を昇華できなかったのはお年頃的な年齢のせいもあるが、一番は言葉を知らなかったことだと思う。大人になった今はそんなことも少なくなってきた、と述べたのだが大人になってもうまくいかないこと、段取りが狂うと何よりも怒りの感情が先に立つ。私はパートナーに【やばい】とか【めっちゃ疲れた】という一言でメッセージを送る。そうするとパートナーは【なにがやばいの?】と返してくる。現状と自分の気持ちを自分が持つ限りのボキャブラリーで伝えるのだが、たとえばこんな感じである。
【今日前泊するのに昨日ぜんぜん準備がうまくいかなくて本も下着も忘れた。せっかく朝10分かけて髪巻いたのに家出て5分で湿気でとれた。パン屋に行ったらお気に入りのパンなかった。冷蔵庫に入れてたプロテインまで忘れてたのに今気づく。総じて腹立つ】
まあこんな感じで小学生でも書けるような文章であり、改めて可視化されるとなんということでしょう、とても恥ずかしいではないでしょうか。松谷卓さんの「TAKUMI/匠」が私のかすかすの脳内で再生されます。
そう、私はボキャブラリーが圧倒的に少ないのです。ボキャブラリーが少ないと発生する問題として最も私が懸念していることは、自分の気持ちを伝えられないことである。もっとわかりやすく言うと、海外に旅行に行った時の自分の気持ちや意思の細かいニュアンスが伝えられないときのもどかしさ、そういったものに似ていると思っている。高校生の時に1ヶ月間英語圏に留学をし、ホームステイをしていたそのときのもどかしさを思い出す。もちろんジェスチャーや表情である程度思いを伝えることもできるのではあるが、そうではなく、もっと繊細なところや自分の想いを伝えたいのに言葉がわからず伝わらないのだ。
日本人同士のコミュニケーションがうまくいかない一因も言葉足らずだな、と最近感じることが多くなった。仕事上の付き合いでも電話ではなくメールやチャットで済ませることも多くなったが、言葉足らずの人はよくトラブルになっている。お金持ちよりも言葉持ちになりなさい、とはよく言ったものである。
ゴリラは言葉をおおむね離せないが、運良く私は人間に生まれて言葉を発して思いが伝えられる。30代になってもゴリラのように、どどすこ怒り出すのはやめて人並み以上の言葉を持てるようにしようと、辞書を購入した。
両親も60代になったが幸い、健在している。これから言葉の表現に困るときは辞書をよみ、将来は両親になんということでしょう、と33年間大事に育て年季の入ってきた箱入り独身娘のビフォーアフターの姿に感動してもらえるような言葉もちになりたいと思う34歳と10日目の朝です。

湿気で髪の毛の巻きもとれ、たくさんの忘れ物をしましたが今日も爽やかに生きていきます。それではみなさま、ごきげんよう。

※ごきげんよう
…御機嫌よう(ごきげんよう)とは、「ごきげんよう、さようなら」のように別れの挨拶などに添える言葉。「機嫌」は、愉快、不愉快などの気分の状態、人の安否や健康状態のことで、「御」が付いているので話している相手の「機嫌」を指している。

※画像はこちらからお借りしました。
自己責任でご覧ください。

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