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⁴キョウヨウのない孤独

 何か問題ありませんか?
と質問されたら、何と答えますか。

自分は、4年前の69歳当時、何も問題ありませんと応えるのが常でした。

しかし、今のこのままをベストとする思い込みバイアスによって、将来展望を考えず、自分の孤立に気付いていなかったことを反省を込めて、お話します。

結論から言いますと、「井の中の蛙大海を知らず」あるいは「夜郎自大(やろうじだい)」になって、深い孤独の溝へ落ち入っておりました。

私は、上意下達、年功序列の組織の中で、人に対するチェックとコントローラー機能に長けていると自負していました。この間に偏見が大きく成長していたのです。自分を過大評価し、自分には何の問題もないと買い被っていたのです。 

加えて、天性の楽天家で、現役の時は「トイレの100ワット」と言われていました。

66才で退職後は、無職と言う開放感に浸かり、将来についての心配もせず、ボランテアをしながら漂うような生活をしていました。フィードバックをもらうこともないので自分を客観視することもありませんでした。

69才時は、まるで、かわいがられるペットと同様な生き方となっていたのです。

ところが、ある日、現役で働いている同級生と食事をした折り、年金暮らしの著者から「割り勘」を取れないというのです。やむなく、ご馳走になった帰り道、「割り勘」のお金を払わないで済ます自分に深い虚しさを感じました。

この虚しさは、無職の性だと思い、たまたま募集のあった「東京都セカンドキャリア塾」に入塾。皆も、仕事をしたいと思っていることに気付きました。私も自分の意志を確認するためカウンセラー3人に月を空けて相談しました。

私のカウンセラーに対する発話は、同時に自分の耳にすることになって、自分を傾聴することになりました。

結果として、自分に「キョウヨウ」が無いことに気付きました。「キョウヨウ」とは、「今日」の「用」と解釈します。既に4年間、「今日の用がない」「行く所のない」生活をしていました。それが私の虚しさで、正体は「仕事」のない孤独感でした。
仕事が、人生に濃淡を付けること身をもって体験しました。

あれから、はや2年間「キョヨウ」を作るため、朝4時起きの勉強生活を続け、資格試験に挑戦しました。勉強が、さらに新たな無知に気付き泥沼状況です。

73才を迎え、夢を持って行動すると悩みが増えることが解り、わくわくしながら新たな挑戦を続けています。

私の夢は、後続世代の方に私と同じ後悔をして欲しくないので生涯働き続ける「キョウヨウ」を身に付けることをお勧めすることです。

 

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