見出し画像

相談する楽しさを忘れたのかなぁー

60代にもなると、自分に「相談する」ことを止める自分が現われる。

理由は、自分が自分を一番知っているから、自分を超える優れた相談相手は何処にもいない、という自己中心主義に陥る。

いやいや、自分が、何であるか分かっいないのが、普通なんだけど、といいたいところ。世の変わり様も早いしね。

本能としての感情には、変化を嫌い、安定を望むホメオシタスと言う機能があるとの学説。

そして、60代にもなると、人生の先が見えてしまうので、もはや強い動機が湧かない。このままでいいよ、という気持ちが強いなる。
だから、感情が脳に動くな、と指示しているのだろう。
脳は、自発的に相談を試みることはなく、善悪の判断もできない。


感情は、自尊意識を持って、自分を大切にするので、身を護るため外へ向かって一線を引き、他人によるアドバイスや指摘を拒否する。
自分の中に籠もってしまう癖がある。

さらに、人間には「天性怠惰」という性があると、19世紀のスイス人、ヒルテイが幸福論でいっている。
怠惰を突き動かす要因は、高低二種類あるという。
高級は、仕事としての目標、誰かに対する貢献。
低級は、名誉心、貪欲、生活維持だと。

僕の場合は、更にもう一つ、高校を出たあたりから、己の運命と可能性を信じて、人生の選択について誰かに相談することを考えなくなり、自分の信じる道を進んできた。
自信を持ってしまったのです。思い込みという恐ろしいバイアスで覆われてしまった。

60代になってもバイアスは全く消えず、自分の殻を破る人は受け付けませんでした。
バイアスの殻に籠もって、他人の評価を聴く勇気がなくなっていました。
傷付けられることを怖れていたのです。

昭和の体質であった組織に守られた、仕事のやり方は、ほとんど押しつけでした。相談する勇気は、不要で且つ忘れていました。

ゲーテの名言に、「勇気を失ったのは、すべてを失ったことだ! 生まれなかったほうがよかっただろう」とある。

●喋ることから、行動する勇気へのサイクル図

話を聴いてもらうと頭の整理ができる。
聴いてもらうと、勇気というか、楽しいというか、気持ちが晴れる。

優しいと言う文字は、人が憂いに寄り添うと書く、人間には「愛着」という本能もある。

60代から、あと30年をどう過ごすか。

先ずは、ヒルティのいう天性の怠惰から抜け出す動機としての目標を見つけよう。

相談してみると73歳でもワクワクすることが見つかることを知った。

高級な動機で、遠い目標を設定できれば、今度は、僕が相談を受ける者にもなれて皆さんに貢献できる。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?