見出し画像

足るを知る

高校卒業間近、在校生に伝えたいことをテーマに
学校が発行する季刊誌に寄稿する機会があった。
私以外にも掲載された子たちは複数人いたが、
多くの生徒が、部活なり生徒会なり
3年間で取り組んだことの集大成をベースに
後輩たちへの盛大なエールを書き綴っていた。

私はというと、
部活にも生徒会にも所属していたものの
メインストリームになるでもなく、
中途半端を自認していた。
特に成し得たことも思い浮かばなかったので
その時に考えていたことをつらつら書いた。
また、進路もまだ確定しておらず
晴れやかな気持ちとは程遠かったのだ。

森鴎外は高瀬舟の「足るを知る」。
安楽死がテーマの作品で有名だが、この言葉は
元々中国の思想家老子が説いたものである。
上を見ても下を見てもキリがなく、
自分を知り、身の丈にあった範囲で満足する、
相応の努力で満ち足りるようにする、
というようなことだ。

高校時代は、どこにいても何をしていてもなにか違う気がして、周囲から弾かれて自分も突っぱねて、何度もどん底のメンタルに陥った。
学校という狭い狭い世界の中で、文学や音楽に救いを求めた。

だが、それがなんだというのだ。

学校という狭い枠組みの中、ないものねだりばかりで見失っているものはなかったか。
自分の場所や抱えているものの中に希望は本当になかったのか。
腹を割って話せる友人や、目をかけてくれる先生はわずかにいた。
不自由なりに、気づきや内省の日々で
自分の価値観を構築していったのではないか。
受験結果もなるようにしかならない。

枠のある生活の中でも、足るを知りつつ
泥くさく各々の日々を重ねて
わずかでも価値を見出していこう。
いつか、それが旅立つ日の糧になるよ。

ざっくりそのようなことをまとめた。

馴染みの先生が「相変わらずだね、きみは」
と笑ってくれたことは、今も覚えている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?