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「親の会」と後悔 後編

前編はこちら。

中編はこちら

見事なまでの三日坊主。あまりに更新頻度が遅すぎてどこまで書いたかすら忘れてしまったが、そうそう、親の会は意外とドロドロしてるって話。

子どもの能力を比べる親たち

ダウン症児の中にも、非常に稀に発達に遅れのない子どもがいる。

一方で、重度の知的障がいがあると診断される人もいるように、一口にダウン症と言っても、その症状の出方は千差万別だ。

ちなみに、我が子は(親の私が言うと贔屓目と思われるかも知れないが)どちらかと言えば、比較的障がいが”軽い”方だと思われる。

言葉は良く出るし、同じ年の健常児たちがひしめく加配の保育士もいないクラスの中で、友達に面倒を見られながらだけれど、なんだかんだで楽しそうに過ごしている。

とはいえ、やはり障がい者手帳が発行される程度には遅れがあるし、将来的に、例えば一般企業に勤めて納税ができるレベルに自立するのは難しいだろうなという気はしている。それはほぼ100%だ。今の社会ではそれが現実だ。

ちなみに、我が子がダウン症だということを受け入れた親は、健常児と我が子の発達速度を引き比べて落ち込むようなことは、さすがにしなくなる。

人によってそこに到達する速度には違いがあるが、ゆっくりと、しかし、確実にそのモヤモヤを消化できるようになるのがフツウだ。それが障がいを受け入れるということだし。

ところが、同じダウン症児同士の能力の違いとなると話が変わる。

親の会主催のイベントで、茶話会の席で、何度か言われた。

「〇〇ちゃんにこの活動は物足りないんじゃない?」
「〇〇ちゃんは××できるから良いよね。」

別の機会には、こうも言われた
「子ども同士の能力の違いが受け入れられない。傷つく」
と。

いやいや…

これはあれか?「私が傷つくからお前とお前の子どもは来るな」ってことか?

でも、私の子どもにも障がいがあることには変わりないんですけど?

あなたのお子さんと比較してどうかは知りませんが、健常児が出来るようにはうちの子もまだできてないですけど?

でも、私はその健常児に向かって「傷つくから同じ園に来ないでちょうだいな」なんて言いませんけど?

親の会って、そういういわゆる定型発達ではない子ども達を、どう家族が上手くサポートしてあげるか一緒に考えたりする場じゃないの?
ダウン症児の親同士が劣等感ぶつけ合ってたら集まる意味、なくね?

色々な思いだけが去来しつつも苦笑いで返す意気地なしの自分。はぁ。
なんだろうなぁ、この「コレジャナイ感」は。

親の会に集まる親のメンタリティに期待しすぎたのかも知れない。
中編にも書いた「元気爆発肝っ玉母さん」イメージの呪縛の強さを思い知った瞬間だった。

今の時代に合わない親の会

ちなみに、私の属する親の会は大きな問題を抱えている。
それは新規入会者がこない、ということだ。

その理由の1つは両親共にフルタイムで働いている家庭が増え、親の会に顔を出す余裕がない人が増えているということだ。
小さな頃のダウン症児は療育だ、視力検査だ、血液検査だ…と病院通いがとにかく多い。
有給はそちらで消えてしてしまう。
土日はゆっくり休みたい。親の会どころではない。

また、1つは新型コロナの流行だ。
ダウン症の子どもは一般的に身体が弱い。
ちょっとした風邪をひいただけでも、小児のうちは入院したりする。

新型コロナが流行り始めたころ、親の会は一時活動を完全休止した。
もし、障がい児グループでクラスターなんぞが発生したら洒落にならないし、万が一コロナに罹ってしまったらどこまで症状が悪化するか分からない。

だから、それは仕方がなかった。
だが、計算外だったのはコロナが落ち着きを見せた今になっても親の会へ参加者が戻ってこなかったことだった。

そうだ。みんな気付いてしまったのだ。
親の会なんかなくても、なんとでもなるということに(悲)。

団結も即席で良いのかも知れない

「親の会がなくても、なんとでもなる。」
それ自体は喜ばしいことだと思う。
なぜなら、それは自治体などから提供されるサービスがそれだけ充実してきたことも意味するだろうから。
かく言う私も、役所の窓口でスムースに療育につながってさえいれば親の会には入会していなかった。

だが、実のところ「情報を得たい」という理由以外に、私が親の会に入会した理由がもう1つだけ、ある。

それは、いつか自分の子ども達を取り巻く環境だったり、仕組みだったりが明らかに好ましいものでないと分かったときに、行政に訴える集団の力を親の会が担うのではないかという淡い期待だった。

赤信号、みんなで渡れば怖くない。お役所に、みんなで言えば怖くない。

…でも、今の時代、そんな地道な活動は好まれないのかも知れない。

今はインフルエンサーとやらが一声上げれば、ころっと状況が変わる。
ピンポイントで結集できれば事足りる。

いかに切実か  ではなく  いかに多くのフォロワーか  だ。

シニカルにもなる。

とはいえ。

社会の中のマイノリティとしての生きづらさを解消すべく集まり、その中でさらにマイノリティを探し出して満足するような集団に身を置くよりは余程健全なのかも知れないと思う今日この頃。

1つ言えることは

もう、ただただ、面倒くせぇ  だ。

親の会、退会しようかな。


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