「親の会」と後悔 中編

前編はこちら。

「親の会」に足を踏み入れる

さて、前回の記事では、障がい児(ダウン症児)子育て情報がロクに手に入らないことを理由に、ヤケクソになったコミュ障主婦(私)がひょんなきっかけで「親の会」に入会したいきさつを書いた。

こう書くと、なんだか新興宗教にでも入ってしまったかのようだ(汗)。が、当たらずとも遠からず。実は、入会前の私は「親の会」に対してそれに近いイメージを持っていた。

生まれてきた我が子の行末を案じ、涙を流しながら傷を舐め合う…そして、その末に「ダウン症児は天使!」と目をキラキラさせながら言ったり、ダウン症児者関係者界隈で有名な「オランダへようこそ!」の詩を朗読しちゃったりするんだろうなぁ・・・。怖っ!(←以上は全て妄想です。) 

普通のお母さんたちの集まりでした

そして、私の中には、「障がい児のお母さん=元気爆発肝っ玉母さん」という謎のイメージ像がある。どう考えても大変な生活を強いられているのに、底抜けにバイタリティが高く、自己の全てを犠牲にして、我が子のみならず同じ生きづらさを抱える人々のために尽力しまくる人物。おそらく、そういった人物の奮闘子育て生活がメディアに取り上げられがちだからだろう。「みんな、こんな人も居るの、素敵ね!アナタだってこれくらい頑張ればダイジョブよ!」的な。

ダウン症児の母になったと自覚した瞬間に私が戸惑ったのは、こういったイメージに自身を近づけねばならぬという無自覚の強迫があったせいもあると思う。

いや、無理だから。それより、そんな頑張らないと大丈夫じゃない社会、ポイズンだから。

しかし、実際に足を踏み入れてみれば、そういった肝っ玉母さんだらけの集まりであるはずの「親の会」には、ごく平凡な、どこにでもいる、私と同じように戸惑いを抱えた普通のお母さんたちが集まっていたのである。

もちろん、詩の朗読もしないし、「我が子ら天使!」というミサもなかった。むしろ、ダウン症という共通項を持ちながらも、その中で多様性があることもきちんと口にする人が多かった。

心底、安心した。最初のうちは。

聖人ではないからこそのドロドロ

以前勤めていた職場は女だらけだった。だから、というのは昨今では問題のある書き方なのかも知れないが、とてもドロドロしていた。一見、仲が良さそうに見えるが、「実はあの人、この人のことこんなふうに言っているんだよ~」という類の噂が非常に多かった。

私はそういった噂話に鈍感だ。自分がターゲットになった場合、面と向かって言われなければ気づけない。これがコミュ障の辛いところ。空気を読むのが苦手なのだ。

でも、だからこそ、例えばAさんがBさんの悪口を言ったとき、「あ、たぶん、これ、Aさんは私のことも裏で何か言ってるんだろうな。」という疑心暗鬼が半端ない。そして、これが女同士のコミュニティに身を置きたくない理由だ。疑うことで気を張って疲れるのなんの。それだったら1人で引きこもってた方がマシっす・・・。

そして、障がい児育児においてもその大部分を任されているのは、悲しいかな女性が多い。我々の「親の会」の集まりにもほぼ100%母親が参加する(別に父親参加を禁じているわけではない。若いカップルでは父親も来るケースも増えた)。

内部の雰囲気に慣れた頃、やはり聞こえてきたのは「実はAさん、Bさんが…」というお決まりのフレーズだった。

ああ、「元気爆発肝っ玉母さん」だらけの集団だったら、こんなことはなかったのだろうか。「そんなこと言わないでさ、みんなで力をあわせましょうよ!キラキラ!」と陰口も一掃してくれたのだろうか。

しかも、ダウン症児の場合、発達の度合いや速度に大きな個人差(外部の方にはあまり感じられないかも知れないが。)があり、我が子の能力比較も絡んだ水面下の気の遣い合いが存在したのだ。


いつかの後編へ続く。

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