犬走哲也

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雑記41 科学の時代の響き

 二十世紀の初頭から、われわれが今生きている現在までを、音楽史では「近現代」という曖昧な名前で括っているが、もちろんその名称の曖昧さはしょうがない事だ。だがわれわれの時代が後の人間にから、何かしらのそれらしい名前を貰う日が来るのはそう遠くないだろう。次代を代表する音楽のいくつかはもう多分存在している。ただわれわれがその存在に気づいていないだけさ。  ともあれロマン派音楽がもたらした、あまりに行き過ぎた人間主義に歯止めをかけるように生まれた新しい音楽、果たしてその特徴をどう捉

    • 雑記40 熟しきった果実の香り

       ひとつひとつの心の微かな襞までをもすべて音で表す事が出来ると、多くの作曲家たちがそう考えていたのでないか、ロマン派の作曲家たちの手になる作品を耳にした時の私の率直な感想だ。前時代を象徴する英雄譚はすっかり影をひそめ、細やかな個人の心のドラマがどこまでも深く描かれてゆく。音楽の技法的に言うならば、ひとつの点から次の点に移る過程がより複雑になったという事だ。躊躇いや不安、ささやかな喜びなど、わずかな心の揺れとして克明に写し取られた音の像は、退廃と背中合わせの美しさを湛え続ける。

      • 雑記39 古典派からロマン派へ?そいつはただの戯言かも知れないぜ

         小学校、中学校と、音楽の授業が大嫌いだった自分は、ほとんど音楽教師のいう事など聞いてはいなかったが、そんな私でも何となく憶えている事がある。音楽の歴史の中で古典派、ロマン派という時代区分があり、古典派の代表的な作曲家であるベートーヴェンがしだいに作品の中に表題等の言葉を用いるようになり、やがてロマン派音楽が誕生したというような歴史観を教わったように記憶している。もちろん今の私はそんな俗説をまったく信用していない。ベートーヴェンが仮に他愛の無い表題を用いたとしても、それによっ

        • 雑記38 特異な才人 ヨハン・セバスチャン・バッハ

           ヨハン・セバスチャン・バッハについて文章を書く、ああ、それは決して楽しい作業じゃない。常に不安と背中合わせさ。いくら捉えようとしても、この特異な作曲家は私の凡庸な言葉などするりとすり抜けてしまう。ともあれほとんど乾きかけた雑巾から最後の一滴を絞り出すように、私の干からびた脳味噌からいささかの言葉を捻りだしてみようか。  唐突だがヨハネス・デ・グロケオは1300年頃、これからは耳に聴こえるものだけを音楽とすると宣言した。ならばそれまでは耳に聴こえない音楽が存在したのかという

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          雑記37 開拓者としてのテレマン

           半年ほどどっぷりと作曲に浸っていた。どこからか依頼があったってな訳じゃない。ただ、そろそろ寿命が残り少なくなってきた。うん、どうしても書き残しておきたい音があるのさ。そんな訳でどっぷりと作曲という行為に漬かり込んだ。人様からするとほとんど落書きにしか見えない音符の塊をせっせと大学ノートに書きつけたこの数か月。その大学ノートがすっかり音符で埋まってしまったところで一休み。うん、たっぷりとたまった下書きを、仕込んだ酵母を発酵させるように、しばらくの間、寝かせておこうってな腹積も

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          雑記36 コンサートの誕生

           歴史上最も古くから認められた観光都市ヴェネツィア、そこに坐するサン・マルコ聖堂、そこから新しい音楽の在り方が始まった。東ローマ帝国内の自治領であるヴェネツィアは自治領であるがゆえに、カトリック教会から自由な立場を取り続ける事ができた。  ヴェネツィア共和国時代のサン・マルコ聖堂はカトリック教会の司教座聖堂ではなく、ドージェ(共和国総督)の礼拝堂として存在していたが、ここでは神をも恐れぬ派手な音楽が横行していた。元々カトリック教会では持ち込む事が禁止されていた金管楽器を高ら

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          雑記35 商品としてのオペラの誕生

           大胆、自由にしてどこまでも誠実、モンテヴェルディはまさにそういう作曲家だった。そしてそういう作曲家の出現がオペラという新しい様式を発展させたんだ。多分声高に理念ばかりを掲げる扇動家の連中にまかせていては、新しい音楽はできなかっただろうね。音楽が発展するためには何より、人々を引き付ける魅力がなきゃあならないんだ。  台本に描かれた情景を描写するために大胆な不協和音を用いたり、今では当たり前の技法になっている弦楽器のピチカートやトレモロを使い始めたのもこのモンテヴェルディ大先

          雑記35 商品としてのオペラの誕生

          雑記34 オペラの誕生

           フランスの貴族が「ルネーッサンス」のなどと叫びながら、ワイングラスをぶつけ合ったのかどうかは知らないが、ルネサンス、ともかくその運動はイタリアより起こった。ちなみにルネサンスという言葉はフランス語だが、それは十九世紀のフランスの歴史家ミシュレが自著の中で正式も用いた事により広まったとされる。ルネサンスは主に文芸復興などと訳されるが、要するに古代ギリシャ、ローマの文化を復興させようという運動さ。ダンテはその代表作「神曲」の中で物語のナビゲーターとして古代ローマの詩人ウェルギリ

          雑記34 オペラの誕生

          雑記33 ○○家の馬鹿娘さえ初見で弾けた

           ルネサンスの三大発明というと羅針盤、火薬、活版印刷だっけ?コロンブスが新大陸を発見し、コペルニクスは地動説を唱え、うん、新時代の到来さ。さあ、こうなると音楽もすっかり新しい時代の波に呑み込まれてゆく。例えば十数年ほど前にいろいろと話題になった絶対音感、この絶対音感という概念だって交通によって生み出されたと言われている。道路が整備され様々な都市同士の交流が盛んになる。そうすると街々によって音の高さが違っているってのは何かと不便だ。よし、ならば統一してしまおうって訳さ。  活

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          雑記32 聴き手の出現

           朝からぼんやりした頭でネットニュースを眺めていた。宝塚歌劇団の練習場では私語も、笑顔も禁止・・・。ん?この文言、どこかで見た事あるな。そうだ、中世後期、十二世紀から十三世紀にかけてのキリスト教会では私語も、それどこらか笑う事すらも禁じられていたんだ。あれも駄目、これも駄目、まさにクレヨンしんちゃんとかいうアニメのエンディングテーマ、ダメダメダメダメ・・・・。でも、何だって禁止してしまうのは怖れがあるからさ。この時期のキリスト教は新時代の到来に怯えていたんだ。だからといって新

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          雑記30 パイの中の二十六人の楽師たち

           1400年代の丁度半ば、ブルゴーニュで歴史に残る大宴会が催される。「雉の誓い」という名で知られるこの大宴会、しかしこの大宴会こそが見事に歴史の転換を教えてくれる。1453年、トルコによってコンスタンチノープルが陥とされる。つまり東ローマ帝国が滅びたんだ。教皇ニコラウス五世は大慌てさ。急いでブルゴーニュ公、フィリップ・ル・ボンに使いを送り、何と時代錯誤な、うん、新十字軍の結成を求めたんだ。よし、ここで一旗揚げようとフィリップ公、集めた諸侯たちと十字軍の結成を、生きた雉に賭けて

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          雑記29 祭りに浮かれる阿保共の一人になりたい

           もう十年以上も前の事だと思う。渋谷のBunkamuraで開催されたブリューゲル展、そこで見た「阿保の祭り」、うん、私はその前から一歩も動く事ができなかった。そこに描かれた阿保共、こいつらは一体何をしているんだ。輪になって踊る者、とんぼ返りを打つ者、奇妙に体をくねらせる者、向かい合って互いの鼻を摘まみ合う者・・・阿保だねえ・・・うん、私はその絵の前で必死に笑いを堪えていた。もちろん大声で笑うなんてもっての外さ。何てったってここは美術館なんだ。阿保面を下げて踊り狂う人々の後方に

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          雑記28 森の中の宗教 それはどういうものだったのだろうか

           久々にパンクしてしまった。ちょいと作曲に入れ込み過ぎたんだ。これを書き上げるまでは死ぬ訳にはいかない、うん、そんな新作のプランがこの私の中にもあるんだ。一週間ほど下書きに没頭していると、あれれ、随分と目が翳むじゃないか。おいおい、眩暈も酷いぞ。子供の頃公園にあったでかい地球儀みたいな遊具。ガキ共が中に入って、くるくる回して遊ぶやつ。あの中にでもいるみたいだ。当然吐き気が込み上げてくる。そうして、うん、やはり最後は寝込むのさ。ほら、たちまち布団が沼のようになってしまったぞ。凄

          雑記28 森の中の宗教 それはどういうものだったのだろうか

          雑記27 人の眠りを邪魔するものはやっぱりシンバルだろう

           社会にじわじわと進出し始めた楽師たち。その彼らが主にどんな仕事に就いたかというと、やはり最初に思い浮かぶのは宮廷でのお勤めだろうね。楽師からもう少し範囲を広げるとジョングルールなどと呼ばれる芸人もいて、新しい音楽の出現に大きな役割を果たしていた。ちなみに宮廷が栄えてゆくという事は、教会の力が衰えてゆく事を意味している。つまり神に代わって人間が力を持ち始めたって事さ。  宮廷に属する楽師たちの仕事で思い浮かぶのもというと、やはり食事や舞踏の伴奏などだろうか。一方で屋外の行事

          雑記27 人の眠りを邪魔するものはやっぱりシンバルだろう

          雑記26 そろそろ音楽家たちの活動の予感が

           西暦1000年頃の事だ。農村部が深刻な人口増加に見舞われた。当時の農業は世襲制だ。長男以外は不要って訳さ。このまま農村に留まっていては埒が明かないってんで、次男坊、三男坊・・・は挙って都市部へと流れ込む。都会で一旗揚げようってなもんかね。そんな状態が百年近くも続くが、都市だっていつまでも田舎者を受け入れ続ける訳にはいかない。都市部の人口増加も随分深刻になってきたんだ。  1100年頃になると都市の人口飽和のあおりを受けて市民権を得られない人々、つまり流人という存在が急激に

          雑記26 そろそろ音楽家たちの活動の予感が

          雑記25 偉大なる教皇、鳩に歌を教わる

           西暦800年、カール大帝は教皇レオ三世よりローマ皇帝としての帝冠を受ける。ここからすべては始まった。さあ、初めての宗教国家の誕生だ。といってもカロリング朝はいわば他民族国家、それをどのように統一してゆくのか。そこでカール大帝は聖歌の一本化を目論む。その頃のカロリング朝にはさまざまな民族によるそれぞれの聖歌が存在した。ローマ聖歌、フランク人たちのガリア聖歌、スペインからもたらされたモサラべ聖歌、他にも東方教会聖歌、アビシニア聖歌、ビザンツ聖歌、アルメニア聖歌、打楽器を用いたコ

          雑記25 偉大なる教皇、鳩に歌を教わる