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雑記40 熟しきった果実の香り

 ひとつひとつの心の微かな襞までをもすべて音で表す事が出来ると、多くの作曲家たちがそう考えていたのでないか、ロマン派の作曲家たちの手になる作品を耳にした時の私の率直な感想だ。前時代を象徴する英雄譚はすっかり影をひそめ、細やかな個人の心のドラマがどこまでも深く描かれてゆく。音楽の技法的に言うならば、ひとつの点から次の点に移る過程がより複雑になったという事だ。躊躇いや不安、ささやかな喜びなど、わずかな心の揺れとして克明に写し取られた音の像は、退廃と背中合わせの美しさを湛え続ける。繊細な表現のために次々に音は費やされ、まさに音の飽和ともいえる状態を作り出した。熟れ落ちた果実が腐りきる前に放つ強烈な甘い香り、その香りこそがロマン派音楽がもたらした香りだ。

 まったく愉快な時代さ。結核持ちのショパンは連れ添った愛人から孤島に置き去りにされ、そこで一人寂しく雨音を聴きながら作曲し、無名のベルリオーズは恋文というにはあまりに強烈な交響曲で、当代一と言われた有名女優を口説き落とし、ワーグナーは終わりのない悲恋を描くために隣家の人妻とねんごろな仲になる。だがこれらのあまりに強い人間主義にやがて人々がついて行けなくなるのも当たり前だろう。一つの様式の変化は直前の時代の様式に対する批判として現れる事が多い。ロマン派に続く、いわゆる近現代などと曖昧な言葉で括られる時代、まるでロマン派時代に掻いた、体中を覆っていた粘りつくような汗を、綺麗さっぱりと拭い去ったような乾いた響きに代表される新しい時代の音楽とのコントラストは興味深い。ロマン派、この生々しいスタイルは、やがて台頭してくる世紀末の科学的な思考にすべてを呑み込まれてしまった。この事はまた後日取り上げる事になるだろう。

 もう一つこの時代に起こった記すべき事がある。それは過去の発見、発掘という事だ。次第に盛んになってゆく市民相手のコンサート活動。その中で初めてコンサートの演目の中に過去の作品が並ぶようになる。(例えばメンデルスゾーンが一世紀以上も前に作られたセバスチャン・バッハの作品を俎上に上げる)。つまり歴史的な認識の強まり、だがこれは後に顕著な形で現れる空間的な意識の広まりと共に、行き着く所まで行き着いた感のあるロマン派音楽が衰退した後、次の世代の音楽活動に強い影響を与えているのだと思う。ともあれこの事はまた後日取り上げる事になるだろう。

 そういえばほぼ新世紀を前にした1888年、エジソンと親交のあったブラームスは、自身の肉声と、いくつかの演奏をレコードに残している。証言によると素朴に新しい物の出現を喜んだブラームスは、好奇心に胸を高鳴らしながら録音に臨んだらしいが、果たしてブラームスは科学そのものをどう感じていたんだろうか。この大作曲家こそ自身と時代の裂け目を強く感じ、その不安に悩まされ続けた最初の作曲家ではないかと思っている。彼の、シニカルな世捨て人風なふるまいは、作品がもたらす孤独感と共にわれわれに強い印象を残す。この事についてはもう取り上げるつもりはない。ともあれ新世紀はすぐそこだ。先を急ごう。

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