雑記29 祭りに浮かれる阿保共の一人になりたい
もう十年以上も前の事だと思う。渋谷のBunkamuraで開催されたブリューゲル展、そこで見た「阿保の祭り」、うん、私はその前から一歩も動く事ができなかった。そこに描かれた阿保共、こいつらは一体何をしているんだ。輪になって踊る者、とんぼ返りを打つ者、奇妙に体をくねらせる者、向かい合って互いの鼻を摘まみ合う者・・・阿保だねえ・・・うん、私はその絵の前で必死に笑いを堪えていた。もちろん大声で笑うなんてもっての外さ。何てったってここは美術館なんだ。阿保面を下げて踊り狂う人々の後方には、台の上で演奏する楽師たちの姿が。
その絵の前で私はじっと耳を澄ます。ああ、この絵の中に流れる音は一体どのようなものなのだろうか。ブリューゲルが描いた祭りの風景。そこに描かれた熱気は何と凄まじいのだろう。それらのほとんどの絵に描かれている、その楽器こそがバグパイプさ。もちろん「オー」の楽器。どこまでも通る音。ちなみに私が住んでいる博多の街の「どんたく」という祭りの中でもバグパイプは活躍する。バグパイプ隊が奏でる音はかなり強烈で、私などは遠くにバグパイプの音を聴くとたちまち血圧が上昇し、慌ててそいつらを探そうと走り回るんだ。
ブリューゲルが描く祭り、熱狂する人々、その中心にいるのはやはりバグパイプ奏者たちさ。いささか賤しい顔をしたバグパイプ吹き、彼らが人々に興奮をもたらし、歌わせ、踊らせるんだ。だが、一方で彼らは忌まわしく、不吉な一面も持っていたのだろう。同じくブリューゲルの「太った台所」という絵、台所の中ではこれでもかというほどのデブ共が楽しげに料理を貪り食い、一方入り口のところではお裾分けに与ろうとしている痩せたバグパイプ吹きが追い出されている。これなど暗にバグパイプ吹きの縁起の悪さを表しているのではないだろうか。そういえば宗教革命の指導者マルティン・ルター、反宗教革命派によって作られたフライヤーには彼がバグパイプを鼻から突きだす悪魔の手先として描かれている。
人々を熱狂させるもの、それらは何らかのネガティブさと込みで捉えられていた。バグパイプは幾度となく演奏禁止という迫害を受けているし、やはり後世にバグパイプのように人々を熱狂させたヴァイオリンという楽器も賤しい存在として捉えられていた。今日最も人気があると言われているサキソフォーンという楽器も、1900年代の初頭に十年ほどバチカンから演奏する事を禁止されている。
随分と若い頃、日本のあちこちの観光地、例えば温泉センターとかで時折見掛けたジプシーたち、彼らが奏でるヴァイオリンがもたらす熱狂には到底抗いようがなかった。それからユダヤ人たちのクレズマー、韓国の打楽器アンサンブル、闇から現れ、一時人々を熱狂させるとまたふらりと闇の中に消えてゆく、うん、そうとしか言いようのない彼らの存在、私は彼らの存在を中世の祭りの中に幻視しようとブリューゲルの絵を必死で見つめていたような気がする。
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