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雑記38 特異な才人 ヨハン・セバスチャン・バッハ

 ヨハン・セバスチャン・バッハについて文章を書く、ああ、それは決して楽しい作業じゃない。常に不安と背中合わせさ。いくら捉えようとしても、この特異な作曲家は私の凡庸な言葉などするりとすり抜けてしまう。ともあれほとんど乾きかけた雑巾から最後の一滴を絞り出すように、私の干からびた脳味噌からいささかの言葉を捻りだしてみようか。

 唐突だがヨハネス・デ・グロケオは1300年頃、これからは耳に聴こえるものだけを音楽とすると宣言した。ならばそれまでは耳に聴こえない音楽が存在したのかという疑問が湧くのだが、うん、実際に理念としての音楽が古代ギリシャに始まり長い間探求の対象になっていた事が、かの偉大なプラトン主義者であるボエティウスによって紹介されている。その思想は古代・中世を通して霧のように音楽家たちを覆っていたのではないだろうか。さあ、そこで多くの音楽家たちにとっては、まるで吉報のようにもたらされたグロケオの宣言、だがその宣言によっていきなりすべての音楽家たちにとってそれまでの理念が無効になったかというとそんな事はないだろう。ちなみに余談だが、音楽史上初めて連続五度、八度を禁止したのはこのグロケオだといわれている。

 バッハと同時代に活躍したゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデルという素晴らしい作曲家がいるが、このふたりの差異は様々な事をわれわれに示唆してくれる。例えば二人のフーガにおける書法の違い。ヘンデルはフーガを始めても、ある程度声部が増えたところで打ち切ってしまう。劇場で活躍したヘンデルにとって効果の上がらないものは不要なものなんだ。それに対してバッハはどこまでも険しい道を開いてゆくかのようにフーガを組み立ててゆく。そうだね、例えば「適切に調律されたクラヴィアーのための前奏曲とフーガ」、その第一巻に収められている五声からなる変ロ短調のフーガ、ほぼ二分音符と四分音符からなるゆっくりとしたフーガ、果たしてこのフーガをフーガとして完全に把握する事は可能なのだろうか。折り重なる主題はたちまち和音として縦の響きの中に吸い込まれ、フーガ主題としての存在を示す事が出来なくなってゆく。だがその譜面を凝視するなら、これはあまりにも素晴らしく完成されたフーガなんだ。

 たったひとつでもその中の声部を削ってしまえば、うん、何かが変わってしまう。例えはっきりと聴き取れないものも、やはり必要なものとしてそこに存在しているのさ。まるでこの世界そのもののようにさ。バッハが音で描こうとした世界・・・、うん、このあたりでもう私の言葉はセバスチャン・バッハの存在に振り切られてしまうんだ。いや、単にバッハというよりも、音楽という事象そのものにさ。バッハが耳の喜びとしての音楽を追求し続けた事に何ひとつ疑いはない。だが、この作曲家にとって音は単に耳の喜びというだけのものではなかった。それ以上の何か。世界をそのまま音に?ああ、何と抽象的な役立たずの間抜けな言葉だろう。でも、うん、でも今朝の自分に言えるのはそこまでだ。

 バッハはいささか蔑称じみたバロックという言葉で括られる時代に活躍した。しかしバロックという様式とすれ違いながらだ。旋律とバス、後は即興で付けられる和音で成り立つこの様式で書かれたバッハの作品が必ずしも成功しているとは思えない。旋法から和声へと大きく舵を切った時代にあって、バッハは一二世紀ほども前に主流だった、その当時「時代遅れ」とされた対位法の枠の中で、和声をも磨いていった。この時、バッハは果たして時代の音楽の中に何を見て、何を求めていたのだろうか。

 ヨハン・セバスチャン・バッハ、この天才はあまりに様々な謎を残していった。私は純情で素朴な、美しい心根を持ち続ける音楽ファンたちのように、素晴らしい天才作曲家バッハが未来永劫、永遠の輝きを保ち続けるなどとは信じていない。ただバッハがわれわれに突きつける謎が解けるまで、そして何よりその謎が魅力的である限りバッハの作品は聴かれ続けるだろうと、そう私は信じている。

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