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病気は心を映し出すのか

友人が癌になった時の話。

もうかれこれ10年前のことで、今は寛解して元気に暮らしている。
その友人が自身の病気について語ってくれたことで、
とても印象深く、今でも忘れられない言葉がある。

「癌が分かった時、正直、やっとゆっくり寝られると思ったんだよね」

その頃の友人は、仕事が多忙を極めていた。
上司との反りも合わず、
ノルマが達成できなかった月は
全社員の前で、まるで見せ物みたいに叱責を受けていたらしい。
同時に、お母さんの認知症がひどくなっていて、
夜もゆっくり眠ることができなかった。
仕事中に、徘徊しているお母さんを保護したから連れに来るようにと
警察から連絡があったり。
身も心も全然休まらず、毎日ぎゅっと緊張した生活を続けていた。
精神状態はもう極限だったようで、当時は意味もなくよく泣いていた。
そんな時に体の異変を感じ、病気が発覚したというわけだ。

普通はショックを受けるはずの病名なのに、
医者から癌告知をされて、ほっとしたとは。
心身はよほど疲れ切っていたのだと思う。

よく、病は気からという。
病気にはなりたくないと誰もが言う。
けれども、じつは病気は自分がなりたくてなっているということも聞く。
かなりの暴論だけど、あながち間違っていないのかもしれない。
病気になるということのメリットとデメリットを天秤にかけた時に、
メリットの方が勝ることがある。
友人は、多分メリットの方が勝ってしまったんだろう。
ずっと本心を押し殺して、強がって生きていたけど、
おそらく本音は、何もかも投げ出して、ただただゆっくり眠りたかったんだろう。

病気は、それを叶えてくれた。

この世のものは、全て陰の部分と陽の部分が存在する。
そう、すべてだ。
光という存在は、影がなければ認識することはできない。
自分が女性であるということも、男性がいなければ認識することができない。
休息したいと強く願っているときは、大きな疲労がある。

私たちは、特に昭和生まれの人たちは、
頑張ること、歯を食いしばって成し遂げること、何事も決して投げ出さないことが美徳だと教えられてきた。
休んだり、立ち止まったり、何もしないということは悪だと刷り込まれてきた。
だから、本心の自分が悲鳴をあげていても、
見ないふり、気づかないふりをすることが当たり前になってしまったのかもしれない。
でも本音に蓋をして、極限まで行った時、自然の摂理で必ず強制ストップがかかる。
それが病気という事象となって、本心である願いを叶えてくれるのである。

もっと早く自分自身の心の声に気づいて対処していれば、
そんな大事にならなかったのに、ということでこの世は溢れかえっている。
病気によって、心の状態が顕(あらわ)に映し出されるのである。

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