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「夢」について思ったこと

昨夜はなかなか寝付くことができなかった。
結局眠りについたのは、朝4時ごろだったか。
久しぶりに、今朝は散歩をお休みにした。

寝付けなかったのなんて、いつぶりだろう。
普段、私はすぐに眠りに入ることができる。
入眠儀式にこだわっているということも一因だろうか。
就寝1時間30分前の入浴、
18時以降は飲食しない、
灯りは暗めで。
ここのところちょっと忙しくて、
この夜のルーティーンが崩れがちになった。
なかなか寝付けなかったのは、とても久しぶりのことだった。

深く眠ることができるようになったのは、
会社を辞めてからだ。
会社勤めをしていたころは、
就寝時間が遅いのはもちろんだが、眠りもとても浅かった。
嫌な夢ばかり見ていた。
作った資料がどこを探しても見つからない、とか
クライアントのところになぜか辿りつけない、とか
何かに追われているような夢。
朝起きた時に、
ああ、夢でよかった・・・
とため息をつくような夢ばかり見ていた。
登場人物も、同僚や上司、顧客など
普段見知っている人ばかりだった。
夢の中さえも、昼間の生活の延長線のようだった。
眠れているようで、心は眠れていなかったのかもしれない。

仕事を辞めて少ししてから、
睡眠の質が変わったのを実感するようになった。
すごく深く眠れるようになってきたのだ。
朝目覚めたときに、なんというか、
とても充たされているような感覚。
身も心もエネルギーをフルチャージできたような
満足度の高い睡眠がとれるようになった。
そして、以前とまったく違う夢を見るようになった。
大きな宇宙船に乗って宇宙を超高速で旅している夢、
古い大きな重い関を開けて別の村を訪ねる夢、
深い水の中で数多の熱帯魚たちと暮らしている夢(なぜか息はできる)・・・。
登場人物も、とても懐かしい人たちやまったく知らない人など様々だ。
朝目覚めると、すぐには状況がよく飲み込めない。
しばらくして、この現実世界に戻ってきたのかという実感に変わる。
あぁ楽しかった、もっとあそこにいたかった、
と思うこともしばしばだ。

「阿頼耶識」という仏教識がある。
普段私たちが認識することのない、無意識の世界のさらにさらに深いところ。
私は、壮大な夢は実はここに通じているのではないかと思っている。
眠りが深くなると、その扉を開けられるのではないか。
唯物主義者に言わせると、
突拍子のない夢は、映画やテレビや本など
過去にどこからともなく得た知識や情報を混ぜ合わせて
夢の世界を作り上げている、
ということらしい。
でも、本当にそうなのだろうか。
まだまだこの世の情報量の少なかった幼い頃の私も、
こんな壮大な夢をよく見ていたではないか。

夢とは、今忘れてしまっているだけの
過去と未来の、遠い遠い「記憶」なのかもしれない。

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