見出し画像

テレビを捨てて手に入れたもの

私の家にはテレビがない。
7年ほど前に、捨てた。
特にその頃はミニマリズムを追求していたので、
日ごとにテレビ台が煩わしくなり、
あぁそれならテレビもろとも捨ててしまおうと、
あっさりと手放した。
60インチの大きなテレビだったため、
家からなくなった時は、本当にすっきりしたものだ。

見た目をすっきりさせたかったのが大きな理由だったが、
捨ててみると、思ってもみない効果がたくさんあった。

まず、時間。
とにかくその頃は、夜遅くまで残業して
疲れ切って家に帰ってテレビをつけていた。
深夜放送までダラダラと見続けていると、当然家事をする時間がなくなり、
読書などの趣味に充てる時間は、もうほとんど残っていなかった。
ところが、テレビがなくなってみると、
今までなんとなく見ていたテレビの時間がぽっかりと空き、
代わりに自由な時間(何もしない時間)が手に入ったのだった。

次に、音。
最初こそ、シーンとした無音の状態に多少違和感を覚えたが、
それもすぐに慣れた。
そして、それが妙に心地いい。
寂しい時には、音楽やラジオを流せばいいことだ。
無意識に耳に入ってくる雑音が人を疲弊させる。
無駄な音がなければ、読書にも身が入るし、
思考に耽ることも可能になる。

そして、睡眠の質。
それまでは60インチの大画面から
深夜の就寝直前までブルーライトを浴び続けていたせいで、
眠りの質が良くなかったのだと気づいた。
夜が来たら自然に眠くなるという、良いサイクルが生まれ
ぐっすりと眠れるようになった。

最後に、お金。
NHKなどの有料放送視聴料や電気代などは言わずもがなだが、
そんな小さなことではない。
もっともっと大きくて大切なことだけど、案外気づきにくいこと。
それは、広告。
アドバタイズメントの怖さだ。
テレビを捨ててから、不思議なことが起こり始めた。
お金が減らなくなってきたのだ。
なぜか。
それはCMを見なくなったからに他ならない。
人は「CMを見なければ、欲しくならない」のだ。

今まで、欲しいと思ったものは、
自分の意志だと信じて疑っていなかった。
ところがそうではなかった。
「欲しがらされていた」のだ。
巧妙に仕組まれたアドバタイズメントに、
さも自分の意志で欲しいのだと思い込まされていただけだったのだ。
生きていくのに必要なものは、CMを流さなくても必ず売れる。
CMで流れてくる商品はなくても良いものだから、
あの手この手を使って欲しがらせなければ、売れない。

生活のなかから一切の広告を排除することは、もはや不可能だ。
街を歩いていても、ショーウィンドーや掲示板、
嫌でも五感に語りかけてくる。
でも、少しでも減らそうと努力したり工夫したりすることはできる。
私は、ドラマなど見たいテレビ番組は
ピックアップしてネット配信サービスを利用しているのだが、
見るブラウザを、広告カットできるもので見ることは可能だし、
広告ブロックアプリを入れることによって
ほぼ全てのサイトから広告を排除することができる。
この、広告を排除した生活は、想像以上に快適だ。
とにかくノイズが減るので、心身は疲れにくくなるし、
物欲は消えてなくなる。

テレビを捨てたら、本当に快適になった。
今となっては、テレビをあげると言われても丁重にお断りする。
ミニマリズムから派生したことが、思わぬ結果につながったが、
自分にとっての心地よさを追求し続けることの大切さを
教わったような気がしている。
もっと快適に生きるために、何か排除できるものがあるだろうか。
このミニマリズム的視点は、
ぼんやりしていると簡単に欲しがらされてしまうこの世界から
自分を救い出すためにとても大切なものかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?