元始、女性は太陽であった。


前回の続きです。ここから読んでもある程度はわかるようにするつもりだけど、もし前回のほうを読んでないならそちらを見てからのほうがわかりやすいと思います。

前回のまとめ
・ある属性をもつ者(ここでは女性)の権利は慣習によって規定されており、能力に依存しない。
・慣習というのものは究極的には根拠がなく、今までそうであった、という事実によってのみさだめられる。
・慣習は個々人の良心を集合させた宗教が源泉であり、確立された宗教が良心・慣習を補強する。
・伝統的一神教において女性の権利は限定されており、その意味でフェミニストたちはアメリカ黒人と違い男尊女卑を打破するための根拠として宗教の利用ができない。
・そのため、フェミニストの主張は根拠のない現状変更の主張とならざるを得ず、現状の慣習と整合的な主張とそうでない主張を原理的に区別することができない。

というところまでが前回のお話。

上記の理由から、フェミニストと言われる人の中には時々とんでもない主張をする人が出てくるし、『まともな』フェミニストの人もそれを批判することができないんだ。前回のタイトル、フェミニストに神はいないっていうのはそういう意味。

ユダヤ・キリスト・イスラムという一神教では女性は差別的扱いを受けていて、その宗教というものが僕たちの基本的な良心・慣習を規定しているため、彼女たちは残念ながら今までの慣習をぶち壊しにして、一からすべての慣習を作り直さないとならない。

平等な世の中を作ろうとして王様をぶっ殺したけど、じゃあ、その平等のゴール地点はどこなの?っていう事が決められず、血で血を洗う抗争を起こしたフランス革命と原理的には同じ事だね。

でもね、この文章は日本語で書かれているし僕は日本人だしこれを読んでいるあなたも(多分)日本人だと思う。

もしかしたらあなた自身はキリスト教徒だったりイスラム教徒だったりするかもしれないけれど、日本の社会・慣習は伝統的一神教の価値観をベースにして作られているわけじゃない。

それなのになぜ日本は男女平等な社会じゃないんだろうか。

国連(だっけ?)だかが発表したジェンダーギャップ指数でも日本は相当下位にあって、個人的にはそのこと自体に全く異論がないわけではないんだけど、なんだかんだ言ってじゃあ日本が完全に男女平等な社会なのかって聞かれるとまあ大体の人が違うと思うっていうよね。

なんでか?

それは、日本の社会のベースになっている慣習に儒教が大きく入り込んでいるからだと思うんだ。

男女七歳にして席を同じゅうせず?だっけ?忘れたけど儒教っていうのも一神教と同じく男女を差別する教えなんだね。

で、儒教っていうのは中国から来たもので(論語が儒教の元になっていて、
論語を書いたのは中国人の孔子先生だ)、それが日本ではやりだしたのは江戸時代位からなんだってさ、Wikipediaによると。

確かに、それ以前の日本の歴史を見ると、割と女の人の登場人物っているんだよね。北条政子とか、紫式部とか。百人一首でも坊主めくりで姫って結構いっぱい出てくるでしょ。

 僕が知らないだけかもしれないけど、ほかの国の歴史上の有名な女性ってだれかいる?と思ったとき、クレオパトラ?楊貴妃?みたいな一神教以前の歴史のひと(クレオパトラ)とか、そもそも一神教じゃない中国の人(楊貴妃)が多くない?

キリスト教徒の国でいうとマリーアントワネットっていう人がいたけどあの人はベルサイユのばら以外ではクズとして描かれているし、ジャンヌダルクさんは女のくせに戦争した、というひどい理由で火あぶりになってるし、なんかひどい扱いの人が多いんだよね。

という事で、儒教がはやるより前の日本では、完全に男女平等とは言わないまでもそれ以前より女性の地位は高かったように思えるんだ。

何よりも、そもそも僕たちの国の神話で一番偉い神様は女神様だからね。
みんな大好き皇祖神アマテラス様がここで登場ですよ。

天岩戸(あまのいわと)のお話くらいはみんな知ってるよね。
アマテラス様が天岩戸にこもってしまって世の中が真っ暗になっちゃってそれをみんなで引っ張り出そうっていって知恵を絞る話。

ところで、なんでアマテラス様が天岩戸にこもったか知ってる人いる?

それはね、スサノオがアマテラス様が住んでる高天原で乱暴して、ふざけんなよ、と思ったからで、なんでスサノヲが高天原で乱暴したか、っていうところまで今回はお話をさかのぼりたいんだ。

スサノオ君が根の国に行って二度と戻らないからお姉さんのアマテラスに挨拶に来るっていうんで高天原に来るところからお話は始まる。

スサノオ君はすげえ乱暴者だから、アマテラス様はあいつが高天原に来るっていうので警戒して準備する。その時、古事記ではアマテラス様は髪を『みずら』に結うんだ。みずらっていうのは当時の男の髪型で、動きやすい髪型という事なんだと思うんだよね。

つまり、スサノオ君が暴れたらアマテラス様ご本人がぶっ飛ばしてやろう、と待ち構えてたわけだ。

実際にはそのあとスサノオ君はすぐに暴れるんでなく、アマテラス様と占いゲームをするんだけど、ともかくアマテラス様ご本人は殺る気満々だったっ
ってわけよ。

つまりさ、神代の時代においては、わが国で一番偉い女神さまは必要なら敵を自分でぶっ飛ばす、という準備をしていて、わが国における一番重要な神話のメインラインのお話でそれが描写されているってこと。

誰だ?男女には伝統的な役割分担があってそれは差別じゃなくて区別だ、とかふざけたことを言う差別主義者は?

森先生も昔おっしゃっていた通り、『我が国は天皇を中心とした神の国』なんだから、やはり伝統にしたがい、男女に無用な差別などあってはいけないんだ。

女は男の後ろについてくればいい、なんていうやつは誰だ?

日本人ともあろうものが中国人やら切支丹どもの妄言に踊らされて節を曲げるのか?

ご存じの通り、アマテラス様は太陽の神様だ。

『元始、女性は太陽であった』という平塚先生のありがたいお言葉は、きっとこれを説明しているんだ。

平塚先生がどういうお気持ちでこの言葉を発したか、もちろん今となってはわからないけれども、前回僕が説明した通り、一神教では不可能であった、
『神の権威』に基づく男女平等というものが、ありがたいことにわが国では可能だ、という事をきっといいたくて、『元始、女性は太陽であった』と先生は言われたんだと僕は信じている。

それを実現するために、神道を中心とした日本の新しい価値観の源泉をだれか明文化してくれないかなあ、って思うんだけど現行の神道絡みの団体がクソみてえなのばっかで、無理っぽいなあ、とも思う。

でも、新たな団体をつくるなり、有志を集めるなりして、何とかできないだろうか。
神道的な価値観を明文化し、それをもとに古くて新しい価値観のベースを示すこと、これによって救われるのは女性だけではないんだ。

一例として、LBGTと言われる人たちがそれに該当する。

これについては次回に詳述する。

https://note.com/nice_cosmos457

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