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夏の備前を行く!岡山兵庫の重文巡り!!【閑谷学校・姫路城編】

一泊二日で重要文化財を巡る旅もいよいよ大詰め。
残す所は備前市にある閑谷学校と、姫路市にある姫路城だ。



閑谷学校

吉備津神社を後にした私たちが次に訪れたのは、現存する世界最古の庶民教育のための学校である閑谷しずたに学校だ。
岡山藩が設置したこの学校は、江戸時代初期に設置された当初から武士のみならず庶民の教育も行っていた。

江戸中期以降に増加した藩校が主に藩士を対象としたものであったことと比較すると、いかに早い段階で庶民を含めた人材育成について理解があったかがよく分かる。

造営時期が分かる優秀な立看板
一日中勉強漬けだったようだ

また、本校は授業料が不要であり、文房具まで貸与されていたという。
国や地域の将来を担う人材育成を非常に重視していたことの証左と言えよう。

それに対して現代の我が国と言えば、学費は無料どころか上がるばかりだ。
安い学費で通う事が出来たはずの国公立の大学ですら学費が上がり、私立大学は言うまでもない。
奨学金制度はあるものの、その大半は単なる借金である。
返済を求められるだけに留まらず、なんと利子をつけて返済を求めるというのだから、これこそまさに鬼の所業と言って良いだろう

教育の振興、そしてひいては国家の繁栄の礎を築くべき人材の育成について、些かの理解もあるとは思えない有様である。
さらに言えば親の経済力によって高等教育を受ける機会を逸する教育格差をも助長しており、こうした観点からも現在の奨学金制度や国公立大学の学費問題は是正されるべきものであると言える。

最も閑谷学校が授業料等が無料であったとはいえ、時代からして子供も労働力の一部であった事を踏まえると、学校に通う事ができた庶民の子供は比較的裕福な家庭に生まれた子供であったと思う。
そうであったとしても、生まれにより身分が決まる時代において支配階級たる武士でなくとも教育を受ける機会を与えられていた事は、多分に評価されるべき事だと思っている。

果たして現代日本の鬼退治はいつになるのか、誰が桃太郎になって鬼を退治してくれるのか
桃太郎の到来を願って止まない。

講堂が見えてきた
受付

鶴鳴門(校門)

閑谷学校の正門で、奥に見えるのは聖廟(孔子廟)だ。
正門なだけあって立派な造りをしている。


講堂

この閑谷学校に残る建造物のうち、国宝として指定を受けているのがこの講堂だ。
今で言えば校舎にあたり、ここで生徒たちは勉強していた。

巨大な講堂の左に見える小さな建物が小斎
講堂内部

これは行動に隣接した小斎と呼ばれる建物で、藩主が臨学する際に使用したため御殿とも呼ばれていたそうだ。

小斎外観

石塀

江戸時代の屋敷の塀と言えば角ばったものが多いが、そうした塀とは異なり丸みを帯びた特徴的な塀となっている。
あまり高さもないので、少し頑張れば乗り越えることも可能だろう。

外敵の攻撃などに備えた城や武家屋敷ではないので、これらの石塀の主たる設置目的は部外者の侵入を拒むことが出来る程度で良いと考えられていたのだろうか。

あるいは、鹿や猪といった野生生物の侵入を抑止するために設けられたのかもしれない。
現地に行くとよく分かるが、閑谷学校は山の中にある。
その手の野生生物はそこら中にいるだろう。


公門

藩主専用の門であり、いわゆる御成門にあたる。
存外簡素な印象を受けたが、徳川将軍家が使用したとされる増上寺の御成門も派手な造りではなかったし、貴人のためだけに誂えられたという点が重要なのだろう。


閉校となった閑谷学校の学房跡に建てられた私立の学校である閑谷黌の本館であり、明治時代に建てられたものだ。
古風な洋館であり、江戸時代の建築物である閑谷学校とはまた違った魅力がある。

なお、現在は資料館として利用され、閑谷学校や岡山藩等の各種資料が展示されている。

閑谷神社
閑谷学校講堂の屋根に似せた意匠の公衆電話ボックス

姫路城

現存12天守、国宝5天守の一つ

この記事のタイトルは「備前を行く」だが、なんと旅の最後は備前ではない
播磨国、すなわち兵庫県である。
当初は姫路城を目的地として考えていなかったのだが、同行してくれた後輩の希望で急遽立ち寄ることになったのだ。
私が姫路城を訪れるのは3回目になるが、後輩は初めてだという。

あまり目的地を定めず、時間やその場のノリで行き先を柔軟に決められる旅というのは楽しいし、これこそ旅行の楽しみの一つだろう。
そして、こういう経緯で行き先を決めた旅というのは、往々にして正解だったりするのも面白い。

閑谷学校を出る頃には既に正午を回っており、昼食と次の目的地について車内で話をしているうちに姫路城へと向かう事になった。
昼食については、昼食をとった後で登城するのはキツイということで後回しとすることにして、先に天守へ入る事にしたのだ。

しかし、この時点で時刻は既に午後1時20分を迎えており、結局私たちは二日目の昼食を取り損ねるという、いつものパターンになってしまった
なお、空腹の状態で灼熱の太陽に焼かれながら登城する羽目になり、まさに修行となってしまった。

なお、姫路城の別名はその白色の美しさゆえに白鷺しらさぎ城と呼び称されるが、これは初日に見た烏城うじょうと呼ばれる漆黒の岡山城天守とは対照的で面白い。
そして、実は岡山を治めていた池田家はかつて姫路城の城主であったこともある。
隣接する二国の関係は存外深いのだ。

大手門(再建)

姫路城から出る頃には昼食の時刻をとっくに過ぎており、今更昼食を取る気にもなれなかった私たちはそのまま帰路に着くことになった。

大津SAより琵琶湖を望む

昼食をとっていない分早めに空腹を感じたので、新名神の鈴鹿パーキングエリアで早い夕食を取ることにした。

シンプルなあっさりした醤油ラーメンだったのだが、海苔が別の皿に分けて置かれていたのがよい。
最初から海苔がラーメンスープにつけ込まれているとふやけてしまうが、パリパリとした食感を味わいがたくなってしまう。


今回の旅のメインは錦鯉の独演会だったが、ついでとはいえ岡山を中心に周ったことで様々な文化財や歴史に触れることが出来た。
結果的には文化財を巡るツアーのようになったが、当初からあちこちを周ることは想定していなかったので、思わぬ副産物と言っていいだろう。

いい意味での想定外は、旅も人生も豊かにすると感じた二日間だった。


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