土着の民族と弥生文化①

いま公の世界ではどのような歴史認識になっているかはわからないけど

あんこが思う縄文から弥生文化への移行について
記しておこうと思います


*・*・*・*

いまの時代に日本と呼ばれている地域には
その昔、さまざまな民族が存在していました

各地域で
人々は協力し合いながら共同体としてとくに争うこともなく暮らしていました(ケンカくらいはあったとおもう)

現代よりもはるかに自然に近い
自然そのものの中での生活は、どのようなものであったでしょうか

自然とは脅威であり人間を侵食し脅かす存在だったのか

それとも生きるための恵みを与えてくれる慈しみの存在だったのか

おそらくその両方の側面を感じとりながら

人々は自然とともに生きていたんだと思います


アナスタシアという

ロシアの森の中に住む女性の物語があります

アナスタシアはとても美しい女性で

森の中裸で過ごし

欲しいと思ったものは森の自然や動物たちが与えてくれる

遊びたいときは森の仲間と遊び

自然と一体


アナスタシアによると

昔は皆がそのように暮らしていたと

森の声、動植物の声、大地の声、自然の声を聞き話、

満ち足りていて

不安という要素がないので

争う必要がない

奪う必要もない

感覚はいまよりずっと研ぎ澄まされて

遠くの人や自然の意識の流れを

キャッチすることもできたでしょう

それを現代のわたしたちは

テレパシーと呼ぶのかもしれません


ではなぜそんな心豊かな暮らしが
いまは失われてしまったのでしょうか


その原因のひとつは『不安』


その地域に暮らす人々にとって自然は余りある恵みを与えてくれました

天災と呼ばれる自然の荒い側面でさえも

当時そこに暮らす人々は受け容れ、暮らしていたのではないでしょうか


その守られた空間に『他者』がやってくるとき

心の安定は揺らぎ

『不安』という感情が生み出されました



安らか、安心、安寧、安定 で「ない」から

『不・安』


ほんのちょっとした揺らぎが


徐々に広がっていき


己を見失わせることにもなります




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