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自分が適応障害になるなんて思わなかった②

メンタルクリニックへ行っても、仕事をしている以上、不安感などが良くなることはなかった。

ある時から、朝起きれなくなっていた。目は覚ませるのに、身体が鉛のように重くてどうしようもなかった。課長に連絡をして、有給を使って休ませてもらった。それでも、なかなか良くならないし、結局次の日は休みで、その場しのぎだった。

会社を休んで申し訳ない気持ちでいっぱいいっぱいで、罪悪感で押しつぶされる事も何度もあった。その度、ご飯も喉を通らなくなった。

休職に入る前、咀嚼が面倒くさいと思うようになり、1日を炭酸水3本で過ごした。氷やお粥を食べられたらいいほうだった。会社では何かを食べないとと思い、無理やりサラダを口にしていた。それでも、酷い時は吐いていた。

勤怠を打っていて「有給がなくなってしまう。欠勤になる」そう思うとどうしても、『休職』という文字が頭に浮かんだ。

「休職したい。休みたい。仕事から離れたい。でも、仕事はしたい。」課長に伝えると、部長と3者面談になった。

別の部署に異動することになった。ありがたいと思う反面、やはり罪悪感は付きものだった。

別部署になり、1週間はとても楽しく仕事ができた。「これが仕事か」そう思った。

けれど、異動しても身体はついていかなかった。心は楽しいのに、どうしても身体が重くなり、突然、家で泣いた。そんなとき、母と通話した。

母は「帰ってきていいんだよ。十分頑張ったんだよ」そう言ってくれた。もっともっと涙が出てしまって気が済むまで泣いた。

高校卒業と同時に上京し、1人暮らしには慣れていた。けれど、学生の1人暮らしと、社会人の1人暮らしはなんだか違った。両親とも連絡は取っていたけれど、その時の状況を詳しく話したことはなかった。話せばきっと「帰ってきて」と言われるから。でも私は仕事がしたかった。

この状況では仕事ができないと思った私は、診断書を貰いにクリニックへ行った。「これを出せば休める。」ホッとしていたと思う。

課長にも、部長にも連絡を取っていたから、休職へはスムーズにいった。

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