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今出来ることを積み上げていく
・気合いとか根性とかいう「精神論」で考えてませんか?
・「やってみる」ことは合理的でしかない
・続けることで見える景色
気合いとか根性とかいう「精神論」で考えてませんか?
ダイエットや筋トレ、
掃除や洗濯、
勉強や学習、
すべてにおいて出来る人間と苦手な人間が存在しています。
出来る人間は単純に好きなのか、強靭な精神を持ち合わせているのか、その他の特殊な能力があるのか、
多々「出来る」理由があるはずです。
苦手な人間にもしっかりとした理由があって、
美味しそうなお菓子に思わず手が伸びてしまった、
眠たくて今日はいいやってなってしまった、
明日やればいいやと思った、
基本誘惑に負けるパターンがほとんどですよね。
こんな時、人は、
「気合いが足りない!」
「根性!」
「たるんでるんじゃないのか!」
という叱咤を受けます。
(↑何も指摘されない「無」の人はおつかれさまです笑)
つまり、
問題は精神であり、ここに打ち勝つことでうまくいくという考えです。
実際、僕は精神論大好きです。
サッカー日本代表の本田圭佑さんのインタビュー記事を拝読したら鬼ほどやる気でます。
でも、
すべてすべきことを実行に移すことが出来ていないのが現状です。
所謂、
意識だけ高い系。
(↑自分で書いてて悔しい笑)
しかしながらですよ?
僕みたいな意識までは持って行けてるのにあと一歩踏み出せていない、そんな人たち、
精神論で片付けられていた今までのこと、ちょっとよく考えてみませんか?
「やってみること」は合理的でしかない
ま、精神論で何でもかんでもアクティブにできるのならそれに越したことはないんですけど、
そんな簡単じゃないことなので、
僕は別の視点から捉えてみようと思います。
とある人が言っていたのですが、
「未来を見通せる能力がない人がいう未来に向けてどうしたらいいですか?って質問は愚問でしかない」
って話。
これからまた多くの生活や社会の変化が顕著に出始め、僕たちの仕事の意味、価値も変わっていく世界の中でどう生きていくのかという。
話逸れそうだからやめます笑。
つまり何が言いたいかというとですね、
やるべきこと、やりたいこと、やり始めること、何をとってもですね、
そのやったという事実を積み重ねていった先にしか何もないということです!
考え方も話でもあるんですけど、
気合いや根性でやってもロジカルに考えてやっても結果やったことには変わりないのですが、
精神論で語られてきたことは実はものすごく合理的な話であって、
何よりの理想への近道だと思います。
積み上げていかないとわからない、気付けないことばっかりなんですよね。
何事もイメージ通りにいかないのと一緒で。
このくらいかなーとか言ってさじ加減で味付けしたらしょっぱかったり味しなかったりしたことないですか?
美味しく出来ると「わたし天才!」とか思っちゃう人もいるかもですが、
そんなの単なる偶然、ないしは経験によるものです。(←経験=積み上げてきたもの)
やってわかること、やってみなくちゃわからないことばかりなんです。
続けることで見える景色
山登りの醍醐味は、頂上に着いたときに見る景色だといいます。
山頂に行った人にしかわからない、そのリアルに映る景色は写真やネットでみるものとは比べ物にならないんだそうです。
ありきたりなことかもしれませんが、
それはコツコツと山を登り、
時間をかけて、
何時間もかけて歩いたからこそ山頂に辿り着くんですよ。
車でビューンって行ってみてもそりゃモノ的に美しいわけですから絶景に変わりはないとは思います笑。
ですが、
そのちょっとした苦労や痛みのプロセスがほどよいスパイスとなって、車で行ったときに見える景色にはかかっている「薄いフィルター」みたいなものが取り除かれる
つまり、
より画質の良い、クリアに鮮明に見える景色が手に入るわけです。
楽をしたらいいものが見えないとかいうそういう精神論ではなく、
単純に良いモノに触れるためには、そのような少し大変なプロセスを踏むことは非常に合理的な話ですよってこと。
その視点で世界を見渡すとですね、
頑張ろうの前に、
この道は正しいという自信のもと動けます。
成功か失敗か、
合ってるか合ってないか、
は別として、
続けた人間にしかわからない、味わえない、知り得ないことが手に入ります。
これはウェブからも本からも入手できない、
自分だけのプレミアムコンテンツだと思います。
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