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あんたちゃんとご飯食べてんの

 夏休みにばあちゃんちでかじりついて見ていた高校球児がいつのまにか年下になった。小学生の時に見ていたモー娘。の歳を悠に超えている。今年の7月で31歳となる。正直なところ、歳を取ることに「嫌だ」という気持ちは拭い去れない。その歳を謳歌するのがかっこいい女性であることはわかるが、いやそんなもんずっと23がいいで。

 公園で子供等を遊ばせている母親が年下っぽい。フーフー言いながら近所の公園を走りながら、横目で母親と子供等を見ながら、自分のオカンの顔が浮かび上がる。うちのオカンは娘が30歳になったときに、オカン自身がどんな人生になると想像していたのだろうか。まだまだバリバリ働いているのか、それともゆっくりパートでもしながら私の子供の面倒を見る予定だったのだろうか。
 まさかフリーの芸人として生きてくねんと、たまに実家に帰ってきては、薄汚れた服と汚ねえ金髪で寝転んで、親孝行も全くしていない娘に「あんたちゃんとご飯食べてんの」と言う人生なんて想像していたのだろうか。この親、子ガチャ失敗してやがる。

 オカンやオトンはよく言っていた。「あんたが子供産んだらお父ちゃんが送り迎えしたらええねん。近くに住んどいてや。遠かったら面倒見いへんで。」と。結婚、出産が全ての幸せだとは思わないし、みんなの幸せの感じ方は人それぞれなのでもちろん否定しないが、私は結婚したいしや出産もしたいしそれが幸せなことだと思っていて、オトンやオカンの望みもそうなんだろうなと思っている。もちろんお笑いで最強になることが幸せであるが、私なんて人間は欲張り人間であり、でkれば全部したい。オカンやオトンも多分私が元気だったらなんでもいいとは思っていると思うが、結婚して家庭をもって幸せになっている私を見せることが親孝行の一種だとは思う。だが今私は、結婚、出産おろか、安定した生活をしていることも見せられていない。今日も10人くらいの見知ったお客さんの前で先行きの不安を抱えながら漫才をする。今、私は親孝行をしている覚えが全くない。そんなときこの歌が頭に浮かぶ。

親孝行って何って考える?でもそれを考えようとすることがもう親孝行なのかもしれない

浜田雅功と槇原敬之/チキンライス

 よし、じゃあ親孝行である。オッケーオッケー。

 とはならないのである。

 私は過去、就職をして、人並みくらいの給料を得ていて、いわゆる婚期に結婚して子供を産んで幸せに暮らすというプランが目の前まで見えたことがある。それはそれは華やかであった。クロールでゴールするときのように肩甲骨を前に出したら手が届く距離であった。オカンやオトンにとってはどれだけ安心しただろう。よかったやないの。である。

 でも、それは、私の、「お笑いもっかいやるねん」で吹っ飛んだ。

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