「涙を流したい」と思うことについて。
こんにちは。にぼしれもんです。
突然ですが、芸術作品などを見て「涙を流したい」と思ったことはありますか?
私はあります。
それは、私の好きなアーティストである「ヨルシカ」のLIVEを見に行ったときです
(上の画像が、ヨルシカ LIVE TOUR 2022「月光 再演」の写真 2022/03/11)。
その頃の私は、「感動する」=「涙を流す」のような強迫観念を抱いていて、それが「好き」の現れだと無意識に考えていました。
そして、好きな作品を見て涙する人間が羨ましかった。
つまり、私は「涙を流す」ことで、本当にヨルシカのことが、ヨルシカのあの曲のことが「好き」なんだという気持ちになりたかった!
私は、ヨルシカを愛しているという「物的証拠」が欲しかった!
自己満足、自己陶酔のための涙が欲しかったのです。
長年の疑問に一つの結論が出せた今、よりオープンな気持ちで作品を楽しめそうです。
愛に涙は十分で、「涙を流すこと」はその作品への愛の度合いを示すものでもないのだと思いました。
涙はどういうときに出てくるのでしょうかね。
また新たな疑問が生まれてしまった?
拙文ながら、ご清覧いただきありがとうございました。
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