全てが不安な夜に両手で顔を覆う

外で雨水が落ちる音がする。雨水が浸った道路を車が何台か通っていく音がする。私の身体の真上では2011年製のエアコンが、28度の省エネモードでウンウン鳴っている。あとは上の階の住人がコロコロ(音としてはゴロゴロ)をかける音。そしてまさに今、姉が帰ってきた音が、ドタン、とした。

睡眠薬を飲んで目を瞑ると、色んな音が両耳から脳みその中へ響いてくる。うるせえなぁと思いながらも、これはどうにも防げない。高性能耳栓とか買えばいいのかもしれないけど、耳栓はちょっと怖い。なんとなく、寝返りをうった拍子に耳の奥の鼓膜のほうまで滑り込んで、それこそ本当に物理的に、脳みそに入ってきてしまうような妄想をしてしまう。

睡眠薬を飲んで目を瞑ると、そこは真っ暗闇だ。正確にはまぶたの裏で、オーロラ色のシールの跡みたいなのが見える。それがどんどん渦を巻いて、今日あった出来事や、明日起こるであろう出来事や、これから何年も生きていくと思われる私の人生のあれこれが、雑音だらけの腐った脳みそに流れ込んでくる。

仕事が辛い。責任のある仕事をわけの分からないまま、とにかくこなさなければならないし、仕事量が多いのか、私の要領が悪いのか、まったくもって時間が足りない。時間がないから土日もこっそり仕事をする。バレると怒られる。でも仕方ない、終わらせないといけないんだから、こっそり仕事する、きちんとやっているように見えるように。

転職したい。転職したくて30社くらい勢いのまま応募したけれど、ここから書類選考で落ちて、適性検査で落ちて、面接で落ちて。落ちて落ちて落ちてをいくつ見て、そしてまた応募して、落ちてを見てを、繰り返す。そのひとつひとつで私は、自分の中の1センチあるかないかの自尊心を、紙やすりでザリザリと削っていく。

部屋は汚い。掃除ができない、けれど掃除したい気持ちはすごくある。もう冬用のダウンコートなんかとっくにクリーニング出してしまうべきなのに、まだそこに掛かってる。衣替えすら終わらない。捨てられないものだけがどんどん増えていって、どうしたらいいか分からない。

恋愛なんか全くしていない。まず好きな人がいない。つい半年くらい前は、熟れたイチゴみたいに甘酸っぱい気分だったのに、今や駄菓子屋のいかげそみたいに心が臭い。個人的にはこれはこれで悪くはないんだけど、やっぱり己が辛い時に頼れる人がひとりもいないなんて、どれだけ寂しいことなのかと思う。いままでも好きな人や恋人に頼れたことなんてなかったけど、存在だけで生きる糧になっていたんだなぁと最近よく思う。貴方達はいてくれるだけで、私の中の多種多様なエネルギーになっていたのだ。

Amazonプライムのドラマ「モダン・ラブ」第3話で、主人公レキシー(アン・ハサウェイ)が言うこんなセリフがある。

桃の傷が気になる人に、壊れた人間は無理。どうか戻ってきて、戻ってこないで、お願いだから戻ってきて。

メンタルに波があって、どうにもこの社会を生きるのが辛い人は、ぜひ見てほしいドラマの1つだ。私はレキシーのこのセリフで号泣してしまった。

知っている。傷のある人間を本当に受け入れて理解してくれる人はごく僅かであること、本当はその傷を晒すのもしんどいこと、弱みを見せて引かれるのが怖いこと。去る貴方に戻ってきてほしいけれど、戻ってきて欲しくない。見られたくないけれど、見られたい。知られたくないけれど、知ってほしい。私の醜態を、まぶたの裏のオーロラ色の闇を。

薬を飲んでも、深呼吸をしても、大好きなシューマンのトロイメライを聴いても落ち着かない夜は、両手で顔を覆う。するとまぶたの裏のオーロラ色の闇が、だんだんカラスみたいに真っ黒になってくる。ウンウンと唸るエアコンの下で、7年前に好きだったバンドのTシャツを着ながら横になって、でっかい顔に小さくて暖かい手をのせる。じんわりと掌の熱を、まぶたと脳みそが感じるまで。それだけを、感じるまで。

こうやって息をしている限り、月曜日はやってくるし、6:30に目覚ましは鳴るし、私は行きたくない仕事へ行くし、転職活動の結果は送られてくる。夜更と共に深まる闇に、両手で顔を覆って生まれる闇に、クソダサい寝巻のまま、飲み込まれてしまえればいいのにね。



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