見出し画像

アメリカで子供達が喧嘩をした時に親が優先させること

私には2人の子供がいるのだが、(1人は13歳の男の子でアメリカでは7th grade、1人は9歳の女の子で同じくアメリカでは4th grade)女の子の方が
まぁまぁおませさんで、ちょっとだけ難しい年頃に差し掛かってきた。

我が家の近所に娘と同い年の女の子が3人、1つ年下の女の子が2人、いるのだが、仲良くしている時はすごく平和なのだけれど、その平和な時間がものすごく少ない位しょっちゅういざこざを起こしている。

アメリカ的に言うと、「ドラマ」が起こる。

誰が誰と遊んで、誰を入れてくれない、とか
誰が嘘をついた、とか、何とか。
私からしたら、女の子同士でよくある、
割とどーでも良いことなのだが、当事者の子供達にしたら
嘘をつかれたと言われたら悲しくなるし、
仲間に入れてくれない、となると何で?と泣く。

ここで、The 日本人の私は、ついつい仲裁に入ってしまって
「皆で仲良く遊びなさい」と言ってしまうのだけれど、
ふと気づくと、その子達の親は誰一人関与してこない。

はて?と思って、ふとしたタイミングでちょっと聞いてみた。
「あの後、大丈夫だった?」と。

すると、思わぬ答えが返ってきたのだ。
「遊びたくない子と無理して遊ぶ必要はない」
「怒りたければ怒ればいいし、それで自分が気まずくなったら自分で解決しに行くでしょう」と。

なるほど。
日本人の感覚だと、そこにどんな理由があれ、
子供達が喧嘩をしている場面に遭遇したら
皆で仲良く遊ぶことに重きを置いてしまうが、
アメリカではそうではないんだ。
皆で調和を取る(これって結局誰かが我慢することになるんだもんな)んではなく、遊びたい時に遊びたい人と遊ぶ、理不尽だと思うことがあったら
自分で解決する。その為に距離を置くこともおおいにありうる。
そういうことなんだ。

ついつい、調和が一番平和な道だと思って
「合わせる」「我慢する」ことを子供達に教えがちな
The 日本人ママの私にはとっても目から鱗な考え方だった。

そういえば、学校とかにボランティアに行くと
アメリカでは一人で行動している子が比較的多い。
娘がkingergartenに通っていた時も、初めての義務教育なので、
私もついつい心配して「今日はお昼休み、誰と遊んだの?」とよく聞いていたのだが、たまに「一人で歩いてたー」と言ってくることがあって、
「お友達と喧嘩しちゃったのかな?仲間外れにされちゃったのかな?」と
必要以上に心配したものだが、そんな風に聞くと決まって娘は
「だって、一人でいたかったから、遊ぶ気分じゃなかったから」と返してきていた。

そっか、娘はもうとっくに「自分」をちゃんと持っていたんだな。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?