約束として使われる「また明日」に願いを込める

学校が終わって一日頑張って、友達と何気なく言う「また明日」
私にとってはすごく重たくて大きな言葉

「また明日」ってことは、今日頑張った上で明日も同じように頑張るんだよって聞こえる
また明日会うためには、それ相応の頑張りがいる
朝起きる
二度寝しないように意識をきちんとする
毎日同じ身支度をする
あ、今日は髪の毛がうまくいかないなって日は最悪
その代わり登校中に良いことがあるのを願う
ってよりは見つける
もうたんぽぽが咲いてる可愛いな
それだけで髪の毛がうまくいかなかったことをなかったものとする
そうしてバランスを取る
学校に入って授業を受けることを心に決める
校門に足を踏み入れる
下駄箱を開ける
よかった何もない
朝は誰も自分を見ていないとわかりながらも人目を気にする
1人で登校する分、私の周辺を見た人が私しか目に入らないから
なんとなく不快に思われるのが嫌だから気配を消したい
そんなこんなで教室に着く
友達が笑ってる
良かったまた会えた
「また明日」が叶った
そうやって毎日を過ごしている
軽々しくみんなが使う言葉を私は重く考えてしまう
「また明日」が叶うのにはどれだけの努力が必要なのか
きっとそれを踏まえた上での発言ではないのだろう
だから恨むことは出来ないししたくもないけれど
私は「また明日会おうね」って約束のために言うんじゃなくて「また明日会えたらいいね」って願いを込めてこの言葉を使わせてもらう

「また明日」

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