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結婚6年目のぼくと妻が、娘に会うまで 〜都内コロナ禍出産の舞台裏〜|#コロナ禍のもやもや子育て

ピロン、ピロン。トゥルルルルル。

鳴り止まないチャットやメール、電話。
育休明けの日々は、想像した以上に騒がしかった。
脳裏に妻や娘の顔が浮かぶ暇すら無いほどに、31歳サラリーマンの僕は、毎日をただ一生懸命生きている。

僕は、ふだんEテレで毎週月曜日・火曜日19時30分から放送中の『沼にハマってきいてみた』のディレクターとして働きながら、3月下旬からスタートしたNHKの若い世代向け新サービス『NABE(なべ)』のプロジェクトリーダーを務めてきた。
テレビ離れという言葉が聞こえて久しいが、10代〜20代の若い世代にNHKのコンテンツをどう楽しんでもらえるのか、若手職員を中心に本気で考えている。

育休取得後、1か月半ぶりに戻った職場は、混沌としていた。

新しいサービスというだけあって、さまざまな制度の問題をクリアしなければならず、加えて番組や出演者など各方面への調整が膨大。少ない人数で進んでいたプロジェクトチームは、ありがたいことに僕の帰りを心待ちにしてくれていた。

うれしい気持ちの反面、やることの多さに面食らってしまう日々。しかし締め切りは決まっているのでやるしかない。ただ家には帰りたい。明日の自分に期待しつつ、少し仕事を残して22時過ぎに疲れ果てて家に帰ると、ワンワン泣いている娘と、疲弊しきった顔で「お疲れさま、大変だったね」と言ってくれる妻。

いやいや、君のほうが大変だったでしょ…と言いたくなる。皿洗いなど簡単な家事をして風呂に入って少し寝かしつけを手伝って爆睡。育休中は必ず目覚めていた深夜の娘のすすり泣き・授乳タイムに1mmも気付けないまま、無機質なアラーム音が鳴り響く朝。家を出る間際に1枚、娘のかわいい寝顔を撮って幸せを感じ、また僕の闘いが始まる。

電車に乗り、マスクだらけの車内で娘の写真を眺めながら、ふとあの日の情景を思い出す。不安で押し潰されそうになりながら家のベランダから見た、あのオレンジ色のきれいな夕陽を。

さかのぼること、1月末。

妊娠40週を過ぎ、お腹がパンパンに張った妻は、出産を今か今かと緊張のなか待ちわびていた。陣痛がなかなか来ないので、計画分娩へと切り替わり、1月30日に入院することが決まっていた。

僕はというと、1月半ばから勤労休暇を取得、1月末から2月いっぱいは育休を取ることに。

妻の実家が九州の交通が不便な場所にあり、突然陣痛が来た際にお義父さんお義母さんが対応できないことから、里帰り出産をせず、僕がそばにいて対応する算段だった。

この頃、コロナ・オミクロン株は猛威をふるっていて、連日新規感染者数が1万人を超えていた。妻が入院する病院は、感染症対策のため、入院時の面会不可、分娩時の立ち会い不可となってしまった。

「怖いよ」

入院日の朝、ごはんを食べながら、妻はしくしくと涙をこぼした。一人きりの出産で、ちゃんと元気な赤ちゃんを生むことができるのか。緊急帝王切開に切り替える可能性も担当医から示唆され、人生で初めてお腹を切るかもしれないのか。出産後はどんな状態で赤ちゃんとの時間を過ごすことになるのか。

妻はいろんな不安に押し潰されそうになっていた。カレーにポタリと落ちる涙。少し我慢をしたように「大丈夫」と言う妻は、だいたい大丈夫じゃない。それでも、ただただ聞くことしかできない僕。何もできない自分がもどかしい。

「分からないことがあったら助産師さんをすぐ頼るんだよ」「不安になったらいつでも連絡ちょうだいね」。なけなしの言葉で妻を励ましながら、病棟の受付でお別れ。

別れ際、勇気を振り絞って「いつでも心はそばにいるよ」みたいなクサい言葉を最後に言いたかったけど、結局出てきた言葉は「また電話するね」の一言。あの時の自分には、それくらいしか言えなかった。

当日の日記にはこう記してある。

何かできることがないかな、と思ったけど、特に何もできるわけでなく、病棟で荷物を助産師さんにお渡しして、はいさようならと、あっけなくお別れ。年始に混み過ぎてお参りできなかった神社に行って、絵馬を書いた&おみくじ引いた。大吉引いて安産だと書いてあり少しだけ安心。家に帰ってきてからというもの、突然なんだか生活に張り合いがなくなってダラダラしてる。

画像 おみくじ

入院翌日の1月30日。状況が分からない半日の焦り。

この日、朝8時に陣痛促進剤を打つことになっていた。妻からは痛みが強くなっているが子宮口が3cmくらいしか開いてないという旨の連絡が来ていて、10時に既読になって以降、13時頃まで連絡が途絶えてしまった。

心臓がドキドキした。もしかしたら、自然分娩に入ったのかもしれない。今、頑張っているのかもしれない。

そわそわした気持ちを抱えながら、一番心配しているであろう九州のお義父さん・お義母さんに連絡した。今伝えられる情報だけを伝え、コロナさえなければ近くにいてあげられたのに、お昼ごはんも喉を通りませんよね等、お互いを慰め合っていたときに、14時頃、妻から一報が入る。

画像 妻からのメッセージ

陣痛促進剤を入れたせいで、一時的にお腹の赤ちゃんの心拍が弱くなった、帝王切開に切り替えるとのこと。いつも絵文字が丁寧に使われている妻のLINEに比べて、この時の文面は「。」だけが使われていて、いささか危機が迫っているように見えた。すぐに病院の担当医からも電話があり、赤ちゃんは大丈夫だと思います、万全を尽くしますとのこと。

一気に、ここまで過ごした十月十日が、走馬灯のようによみがえった。妊活を二人で頑張って、やっとお腹に身ごもった日のこと。すくすく元気に育ってほしいという思いから、胎児ネームを「すくすくさん」と決めたこと。悪阻でずっと気持ち悪かった妻が唯一食べられたキンパを毎日のように作っていたこと。

安定期に入ってとっても安心したこと。まだ見ぬ子どもを想像しながらミシンで一生懸命赤ちゃん服を妻が作っていたこと。検診で見たエコー写真で初めて顔が見えた時のこと、ジェンダーリビールで女の子と分かった日のこと。胎動が大きくなってきて鼓動を感じた時に感動したこと。年明けのタイミングで来年は3人で新年を迎えるんだねとうれしい気持ちになったこと…。

画像 赤ちゃん服を見せる妻
画像 赤ちゃん服を作る妻
画像 筆者が書いた絵馬

決して代われるものではないのだけれど、妻の心配は心の底から分かった気がした。いま、妻はきっと目に涙を浮かべ、鼻を詰まらせているに違いない。その姿が容易に想像できた。いつも泣いている時「恥ずかしいから」と顔を見せようとしない妻。一人にさせてはダメだ、声が聞きたい、と思い、ビデオ通話をかけた。

スマホの向こう側には、想像通りの妻の姿。か細い声が聞こえてきた。帝王切開手術に行く前の1時間弱、妻は泣き続けた。自分の体のことももちろん心配だが、陣痛促進剤を打ったことで、ここまでお腹に宿してきた、たった一つの命に危険が及んだことが、何よりも不安であったようだった。

僕はとにかく「大丈夫だよ」と言い続けることしかできなかった。

困った時はいつだって、ちょっとの笑いが必要だ、と思って過ごしてきた5年間の結婚生活。どうやったら妻に少しでも笑ってもらえるか。

気合いを入れ赤いハチマキを巻いて、ほこりをかぶったギターを結婚式ぶりに引っ張り出してきて、ZARDの「負けないで」を弾き語りしてみたけど、見事にスベッた。

妻の気を紛らわせようとしたが、残念ながら僕自身も正直気はまぎれなかった。

すくすくさんの心電図のピッピという音が通話先から聞こえるなか、常に瞳をうるませる妻の表情を見ているのが、とても辛かった。本当の本当に万が一、妻と一生会えない可能性だってある。そんなの嫌だな。赤ちゃんに会えるかどうか、それももちろん大事だけど、その時の僕は妻の命のことばかり考えていた。

こういう時に近くにいたかったな、手を握って「頑張れ」って一言、言えたらな。いろんな思いがこみあげてくるなか、16時頃ちょっと前にビデオ通話が切れ、妻は手術室へ運ばれていった。

その場で僕にできることは、ただ祈ることと、九州のお義父さんお義母さん、一応僕の親族周りに連絡することだった。16時から、1時間ほどで手術が終わることをお伝えすると、お義父さんからは「ありがとう、元気に生まれてきますように」と来た。

ふわふわとした感情のなか、家の窓から夕焼けが見えた。

画像 家から見えた夕焼け

それはそれは、きれいなオレンジ色だった。遠くに見える富士山と相まって、良いことが起きそうな感じはした。何も考えられない僕は、ただ夕日が落ちていくのを眺めているばかりだった。自分が父親になるのかな。なんか不思議な感覚だな。生まれてきた子供はどんな子に育っていくんだろう…。

感傷に浸っているのもつかの間、1時間経っても何の連絡も来ない。おかしいな、おかしいな。だけど、お義父さんお義母さんに変に何度も連絡しても不安にさせてしまうかもしれない。

17時15分、なんでまだこないんだ、妻に何かあったんじゃないか。すくすくさんはどうなったのか?どんどんどんどん鼓動が早くなっていくのが分かる。

17時30分、なんかあったとしても連絡がこないのはおかしい。なんでもいいから病院から一報はないのか、不安を通り越していらだちに変わり始めたその時。

17時35分、病院から電話。

「無事、帝王切開手術終わりまして、母子ともに健康です。2725gの女の子でした。心拍の心配もあったんですが、よく泣いてましたし、大丈夫だと思います。お母さんも大量の出血もなく大丈夫です。もう少しで麻酔から意識戻ると思うので、連絡あると思います」

ふー、ひとまず安心。

「ちなみに、何時に生まれたんですか?」
「えーっと、16時32分ですね」

そんなに早く終わってたんかいっ!

相手が医師じゃなかったら、絶対にツッコミを入れていた。とにもかくにも、妻が無事で、すくすくさんも無事生まれてよかった。だけど、妻の声を聞くまではなんだか、安心できない自分がいた。

そんな最中、しびれを切らしたお義父さんから17時42分にLINE。
「病院から連絡はありましたか?」

1通「生まれました」と返信を返すと、すぐに電話が来た。お義父さんはすごく冷静に「おめでとうございます、こんな中だけど啓太郎くんの支えがあって、無事生まれてよかった」と感謝を言ってくださった。

続いてお義母さんが出ると今まで聞いたことがない声でワンワンと泣きながら「本当に良かった、本当によかった。ありがとう」と何度も言ってくださった。いつも優しくて明るいお義母さんのその声を聞いた瞬間、自分の中で何かが崩れるように、もらい泣きをした。「早く妻の声が聞きたいです」

18時前、妻からやっと連絡が入った。

「大部屋にすぐ運ばれちゃって、電話ができなさそうなんだけど、無事に終わりホッとしてます!すくすくさんの看護師さんに撮ってもらった動画送ります!触ったらふにゃふにゃしてて、かわいかった!」

動画を見ると、一生懸命に自分の拳をしゃぶっている、見たことないくらいかわいい何かが映っていた。口をパクパクさせる様子が愛らしくてたまらなかった。すくすくさんが無事なのは、確認できた!あとは妻の顔を見て話したいとビデオ通話。

信じられない勢いで泣いた。

こんなに誰かがそこにいてくれることがうれしいことがあるんだってくらい安心して、ゲホゲホしながら泣いてしまった。直接目の前にはいないけど、ちゃんと妻がそこにいる。普通に話している。それだけで幸せな気持ちになれた。人生で初めての経験だった。

すべての語彙力を失って「本当によかった」と何度も繰り返した。「泣きすぎ。」妻はちょっと笑いながらそう言った。

ひとしきり泣ききった後に、いかに動画のすくすくさんがかわいいかを語り合った。尊いってこういうことか、と心から思った。これから家族3人で過ごすことに、期待が膨らんでしょうがなかった。幸せな家族になろうね、それだけ約束して、偉業を成し遂げた妻には休んでもらうことにした。

そんなこんなで出産を終えた妻ではあったが…

そこから1週間、病院で一人きりでの育児が始まるのであった。

僕は面会NG、看護師経由の荷物の受け渡しも1回しか許されておらず、家でただ毎日送られてくる娘の写真を、お義父さんお義母さんや親族に送り続ける毎日だった。

みんなからかわいいねと言われ、出産祝いをもらったら内祝いのお返しを送ったり、近隣の住民に「夜泣きでうるさくなるかもしれません、すみません」と手土産を渡したり、妻と娘の帰りに備えて家事をしたりと、事務的なことを永遠にこなし、なるべく心配事を増やさないようにすることのみに徹した。

自分にできることはそれくらいしかないな…と思っていたときに、三児の子を持つ、仲が良い小中学校の同級生が気を利かせて、連絡をくれた。
「友達が入院から戻ってきた時に、赤ちゃんの寝床が飾られてて、プレゼントが準備してあって、すっごく感動したって言ってたから、土井ちゃんも是非!」とナイスアドバイス!

光の速さで「Hello baby」的なアニバーサリーグッズをネット通販でポチり、100均で買った風船を50個くらい膨らませて、一生懸命サプライズの準備をした。

プレゼントはいろいろ考えた結果、テレビ局員らしく、妊娠期間や生後数日の娘の映像や写真を曲に合わせて編集したVTRを作成した。娘を抱いた妻が喜ぶ姿を想像しながら夜な夜なパソコンに向かい編集し、時折目頭を熱くしながら、一人で物思いにふける日々。

その合間合間で、2日に一回くらい妻が体力がある時にビデオ通話。「いやー実際に会ってこのかわいさを体感してほしい。思ったより小さいんだよ」と聞かされ、会うのが楽しみになるようなことを言われ焦らされ続けて、1週間。やっとこさ、退院の日がやってきた。

病棟のエレベーターホールに真っ白なベビードレスを着た我が子を抱いて、妻がやってきた。

静かに眠る、小さな小さな命。顔が僕の握りこぶしくらいしかない。愛しき愛しき存在。

「わー、小さい!」

それが僕が娘にかけた最初に一言だった。

看護師さんに見送られ、エレベータに乗り込むと妻が娘を抱かせてくれた。軽い。持っているのを忘れてしまうくらいに軽かった。「かわいいね」と娘の顔をのぞき込む僕を見て妻は、「やっと会えてよかったね」とまたもや泣いた。(皆さんお気づきだろうが、妻は結構涙もろい。)

僕もその言葉の温かさに静かに泣いた。なんだかずっと打ち寄せ続けるような不思議な感動に襲われて、そこから30分以上会計が終わる時くらいまでずっと目から涙がこぼれ落ちていた。退院手続きをしている時、事務の方に「おめでとうございます」って言われただけで、なんだか感極まってボロ泣きしていた。

妻が「泣きすぎ」とまた笑った。

こうして、僕ら家族3人の新しい暮らしが始まったのだった。

画像 家族3人で
サプライズの飾り・VTRともにとても喜んで妻が泣いたのは、言うまでもない

ピロン、ピロン。トゥルルルルル。

3月末。やっぱり鳴り止まないチャットやメール、電話。
それでも、僕は毎日が楽しい。

大切な家族が一人増えた。

毎日毎日ちょっとずつ成長していく娘を、妻とほほ笑ましく見ている時間がなによりも好きだ。

いつか娘に「お父さんみたいな人と結婚したい」と言われたい。(親バカ)

その日のために、カッコいいお父さんでいるために、仕事もちょっとは頑張らなきゃな。

明日もまた、良い日だ。きっと。

…と、カッコイイ感じで締めたが、
育休が明けてから、仕事と育児家事の両立が全然できていないのが現状。
日中、育児と家事を頑張ってくれている妻には頭が上がらない。
家族第一で生きていく人生を模索したい、そんな2022年の春。

ディレクター 土井啓太郎

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スマホ主体で生活している若者に「おっ!」と目を留めてもらえるようなサービスを、と立ち上がったこのプロジェクト。既存番組を最適化・再編集(キュレーション)したコンテンツを、YouTubeInstagramTwitterなど各種SNSに発信したり、インフルエンサーやアーティスト・俳優など、サービスの顔となる出演者BUGYOZ(ブギョーズ)と視聴者がライブ配信で「推し」について語り合ったり、もちろん放送にも展開していく。鍋を囲むように若者が楽しく集える居場所を目指している。

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