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一日80億個限定

生後3ヶ月は、子がお腹の中で聞いていた母親の声と生まれてから耳にした母親の声を照合し始める月齢らしい。
それがどこまで本当かはわからないし、関係してるかは分からないが…子が私の顔と声を覚えた。

義親さんには笑わないのに、私と目が合うと笑う。
夫が抱き上げても笑わないのに、私が抱き上げると笑う。
友人があやしても泣き止まないのに、私があやすと一瞬で泣き止み笑う。
夫が遊んであげている途中で私が声をかけると、おもちゃそっちのけで私だけを見て泣き始める。
私の存在を近くに感じるととにかくよく笑う。純粋に嬉しく思うのと同時に、これは…気をつけねばならぬ、誤解してはならぬ、やるべきことを見誤ってはならぬと気を引き締める自分がいる。

一日一個限定

子は私のことが「大好き」だ。なぜか?
私が頑張ってるからとか人格が母親として相応しいとか、そんなのは関係ない。
80億人いるヒトの中で、私だけを見分けて認知できるから。私しか選択肢がないから。それだけだ。

白色のお菓子があるとする。一日一個限定でそれがピンク色のバージョンが販売されるとして、たまたまお店でその一個に巡り会ったら…
別にピンクがそんなに好きじゃなくてもなんとなくそのピンクの一個を買って帰りたくならないだろうか。
子の私に対する認知はそんなもんだと思っている。

赤ちゃんはママが大好き

ありがたいことに様々な子育て勢向けのメディアには「赤ちゃんはママが大好きです」と載っている。
それは正解でもあるし、間違いでもあると私は思う。

子の日々の様子を見ていると、まだ好き嫌いは分からないような感じがする。ていうか好きも何もそりゃママしか見分けがつかないんだから、ママしか好きになりようがないわな…て印象だ。「馬鹿の一つ覚え」というと大変聞こえが悪いし語弊を生むが…まぁそんな感じだろう。
(ママ=妊娠して産んだ人、とは限らない。産まれたときから一番長い時を共に過ごしてきた人という意味。家庭によっては、パパかもしれない)
なので、物心ついた人間が持つ「好き」という感情…この人いいなと思う、仲良くなりたい、一緒にいたい、もっと知りたいと思う感覚と、「赤ちゃんはママが好き」の「好き」はまた別物だと自覚しておいた方が良いと私は自分に言い聞かせている。

お気持ちは頂戴する

とはいえ「赤ちゃんはママが大好きです」自体を否定するつもりはない。毎日毎日髪を振り乱し、身体をグキグキに傷めながら子を育てているのだ。誰かから承認されないとやってられない気持ちは痛い程わかる。だからその承認してくれている言葉は、ありがたく頂戴するつもりだ。
「赤ちゃんはママが大好きです」…ありがとうございます、お気持ちは頂戴します。

錆色やピーコックグリーンもあるよ

私がやるべきなのは、ピンクのお菓子を買って帰りなさいと教えることではない。全部白色に見えてたお菓子は実は全て違う色だと教え、子が好きな色を選ぶ(、もしくは何も選ばない)のを楽しく見守ることだ。

「ママが大好き」なのは嬉しいが(この嬉しさをnoteに書くのはなかなか難しい。言語化できない…)、早く子の視界が「ママしかわからない世界」から「一人ひとりがわかる世界」にアップデートして欲しい。そして色んな人に笑いかけてやってくれと願うばかりである。
私だけが幸せなのもなんだかね。

パパはママが大好き

それは正解。


(見出し画像は義親さんからいただいたトーキョウチューリップローズ。綺麗なマンゴーイエローの薔薇は、マンゴーが苦手な私でも美味しくいただけました。)

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