真面目×楽しい 二人目
なぜか、真面目なのに楽しんでいる人が目に入る。
僕が真面目だからと思う。
楽しい…?
きっと、僕が楽しみたいから。
この人もまた、真面目に自分自身を楽しませている。
真面目に自分の気持ちに向き合っている。
真面目に自分の声を聞いている。
自分に対して、真剣なのかもしれない。
日常英会話は普通に話せるし、スペイン語にも興味を持ち始めて練習している。
ビール🍺のもらい方が初めてのスペイン語。
本当に、その人らしい。
子どもの自分を大事にしているのだろう。
子どもの自分が、「これ面白そう!」と感じることに敏感なんだろう。
敏感というよりか、大切にしてるんだ。
きっと、すごく自分を大切にしているんだろう。
でなきゃ、社会に求められるいい人でしか在れないから。
素敵な人はきっと、みんな自分の心の機微に敏感なんだろう。
決して、自分の心を無視したりしないし、いつも対話するように心がけている。
だから、存在感があるのかもしれない。
自分の声を何度も聞くことで自分という輪郭がハッキリしていき、なんかこの人、違う。という印象的な人柄を醸し出しているように思う。
みんな、自分の内側が外に写っている。
内面で、自分とどれだけ向き合ってきたのか。
今朝は何が食べたいのか。まずはトイレに行きたいのか。歯を磨きたいのか。
そういった一声を、真面目に楽しんでいる人は大切にしているんじゃないだろうか。
ずっと、芯があるようにみえる。
ものすごく楽しそうにしたり、踊ってみたりしても、その人の芯、軸がぶれていない。
その人を逸脱するようなことはしていない。
枠の中で、枠を目一杯使って遊んでる。
その枠から外れていることを、羽目を外すというんだろう。
真面目だから、決して羽目を外していないから真面目に見えるんだ。
感情にのまれて輪郭が消えているひとは、真面目には見えない。
真の面が、堂々と佇んでいるから、感情に流されるんじゃなくて、感情という川の上で船を漕いでいるんだろう。
常に漕いでいるから、どんな川の流れでも、真の面が残る。溺れていない。
そんな印象を感じる人は、きっと人生を真面目に楽しんでいる。
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