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主体の解像度【SNSゲンロン】

日々、SNSに入り浸って生活しております。

私は、テレビは年に数回、正月にある「孤独のグルメ」一挙放送と、数年ごとに実施される選挙特番くらいしか見ないので、情報収集はもっぱらインターネットメディアです。

中でも、即時性を優先して、twitterを中心に利用しています。かれこれ12年以上利用してきて、周期性のある炎上やバズりを見ながら、いつか来た道とやや斜に構えて見ているわけであります。

たとえば、twitterのタイムラインにあるのは、批評家の宇野常寛氏が喝破するように、ユーザーが大喜利的に受けるものを探し、弱いものを見つけては袋叩きにするという繰り返しです。

限られた文字数で、即時に発信できる場所であるがゆえ、投げた石の波紋が予測できず、波に飲まれたり、反撃で噛みつかれて大けがをする方まで現れます。傍目八目とはよく言ったもので、見ている側からすれば、さもありなんと思うわけですが。

主語がでかい。

他人の意見や行動を指摘し、批判するときに、とかくこの傾向が目立ちます。

両論あることをズバッと言い切るとバズる、などと披露される方もありますが、これこそ単なるネット大喜利で、内容がない発信です。バズっているのか炎上しているのかも自覚していないのでしょう。

SNSでの発信に内容を求めることさえ無意味かもしれませんし、ともすれば、大喜利にも失礼かもしれません。

中には、炎上どんとこいとばかりに喧嘩腰に、そのように意図的な発信をされる方を見ますと、私は、下品なことをするものだなと距離をおくようにしています。

これは、ネットリテラシーというよりも、ネットデリカシーと言ってもいいのかもしれませんが。笑わせているのか、笑われているのか、この違いは果てしなく遠いものです。

何を言うかより、誰が言うかに重きを置かれる時代ですから、目立ったもの勝ちとばかりに、空中戦で、派手で乱暴な意見が飛び交うばかりで、結局のところ、声の大きさで寄り切ってしまうというつまらないオチになります。

これだけは、見れば、ネット社会も現実社会も、結果としてさほど変わるところはないものです。同じ人間が行動しているのですから、当然ですが。

社会的信用が定量化され、これを元手にできるようになったのは、SNSの功績であると考えます。

であるがゆえ、主体を明らかにした鮮明な意見を発信できるようになることが望ましいのではないでしょうか。



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