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まさか私がパニック障害に!?③

内科で調べてもらっても異常なく、ネットで自分の症状を調べているうちに自分はパニック障害ではないかと思い始めていました。

私がパニック発作の時に出る主な症状は以下の通りです。

動悸、頻脈、たまに脈が飛ぶ・ウッと空咳が出る感じ、手足の冷え、冷や汗、震え、窒息感、死ぬかもしれないというとてつもない恐怖心です。

しかし、東京では毎日仕事に追われ、心療内科に行く余裕すらありませんでした。

そして地元に帰ってようやく、家族付き添いのもと、心療内科を受診しました。

心療内科の先生はとても優しくていい先生で、私の話を事細かく聞いてくれました。

そして診断の結果、やはりパニック障害でした。ついでに軽度のうつ病も併発していました。

やっと病名が分かって少し安心した自分がいました。

ここまで病んでも最初に頭に過ぎったのは「まじか…仕事どうしよう」でした。本当に社畜の鑑です。

一週間くらい休めば全て元通りの自分に戻れると軽く思っていましたが、私の体は思っている以上に疲れていました。

先生は「とにかくなにも考えないで休みなさい!」と1ヶ月分の診断書を書いてくれました。

そして発作自体を出にくくするための抗うつ剤と発作が出た時に飲む頓服を処方してくれました。

これで楽になれる!!!と期待に満ち溢れていましたが、全然楽になれませんでした。抗うつ剤が全く体に合わなかったのです。

飲み始めて2、3日後から吐き気、胃のむかつき、下痢が止まらなくなり、食欲もなくなり、一週間で4キロも体重が落ちるほど体調が悪くなりました。

胃を根こそぎ取ってくれー!!!!と叫びたくなるほど。

すぐに先生に相談してもう一段階ゆるい抗うつ剤に変更してもらいました。

が、それも結局合いませんでした。

その結果、抗うつ剤は諦めて頓服薬のみで治療していくことになりました。

ただしんどいながらも体重が減ったのは嬉しかったです。笑

一度壊れてしまった自分の体を全て元通りに戻すことはそう簡単ではありませんでした。今まで普通にできていたことができなくなるということはとてつもなくストレスでした。

何度も何度も車に乗る練習、スーパーに行く練習を繰り返しました。しんどくなると途中で帰ることも度々でした。

お風呂も怖くてシャワーからお風呂に浸かれるようになるまで何ヶ月もかかりました。今でも日によっては怖くて入れない時があります。

毎日のように泣き、家族に八つ当たりして、本当ならもっと自立して親を楽させてあげなければならないのに娘がこんなになってしまって申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

しかし、私の家族は誰一人私を見捨てずに支えてくれました。今も私が元気に生きていてくれることを願ってくれています。

実家で過ごすうちに半年後には毎日飲んでいた頓服薬は日に日に減っていきました。普通に生活するぶんには薬を飲むことはなくなりました。

ただ友達と遊びに行ったり、歯医者に行ったり自分が不安に思うことがある時は予防として頓服薬を半錠飲むようにしています。それは今もです。

仕事はというと結局半年間休職した後に退職しました。

念願の正社員になれたのに悔しくて悔しくてたまりませんでした。 

でも私はこれで良かったと思っています。あのまま社畜として人生が終わっていたかと思うとゾッとします。

会社は私をコマのように扱うけど、私は私自身をもっと大切にしようと思えるようになりました。

私が休職したことで会社の様々な人から連絡がきました。でもそれってもう遅いんですよね。私が泣きながら仕事をしていたことも上司から呼び出されて怒鳴られていたことも全部知っていたはずなのに誰も助けてくれなかったから。

だからそんな人たちは誰がなんと言おうと私の人生にはいらない!

私は私をもっと大事にしてくれる人と付き合おうと心に決めました。
また周りの人の目など気にせずもっと私の生きたいように生きようとも。

だから今だって私のパニック障害はまだ完治していないけれど、もっと自分の好きなこと、したいことをして幾つになっても挑戦し続けられる人間になりたいです。

今、このnoteを書いていることだって私の一つの挑戦です。

これからも頑張って更新していきたいです。











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