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「地続き」にいる人たちの物語 椰月美智子さん(小説家)

本誌199号で紹介した小説『こんぱるいろ、彼方』(2020、小学館)は、1978年にベトナムからボートピープルとして来日した家族の三代にわたる女性たちの物語だ。一人ひとりの気持ちのゆらぎがリアルに描かれていることがとても印象的だった。もしかしたら著者はボートピープルの当事者か、あるいは当事者に非常に近い人なのではないか、とのこちらの予想は見事に外れたが、それではいったいどんな方がどのような思いでこの物語を書いたのか知りたいと、著者にお話を伺った。

DEAR News200号(2021年2月/定価500円)の「ひと」コーナー掲載記事です。DEAR会員には掲載誌を1部無料でお届けしています。

地続きの「ボートピープル」との出会い

ボートピープルの物語を書こうと思ったきっかけは、町中でのひょんな出会いだったという。

「5年くらい前に友だちと買い物に行った先で、その友だちの友だちに偶然会いました。同世代にしては、ずいぶんかわいい名前の人だと思ったら、実はベトナム出身で、ボートピープルだったと聞いて。見た目は自分と変わらないような女性なのに、ボートピープルって?!と、とてもびっくりしたんです。ボートピープルというと、子どもの頃に報道で目にした、小さな船に大勢の人が乗って命がけで母国を脱出する姿のイメージがあって、目の前にいるその子とぜんぜん結びつかない。でも実際、自分と同じ町に、同世代の人が普通の家族として暮らしていたんだ、自分の“地続き”にいるんだ、ということが衝撃でした」

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(取材で訪れたベトナム・ニャチャンの海)

「これを小説に書きたい!」と思った椰月さんは、まずその人に話を聞かせてもらうことにした。しかし、幼い時に来日した彼女は、ベトナムのことも来日前後のことも何ひとつ覚えていなかった。「自分がボートピープルであったことは誰にも言いたくないし、自分の子どもにも話していない」と言う彼女に、椰月さんは二度目の衝撃を受けた。

小説の中でも、5歳で来日した母・真依子がベトナムやボートピープルについて何も知らず、ベトナム語も話せないと知り、大学生の娘・奈月が「なんで?」「ふつう、気になって仕方ないんじゃないの?」「勉強しなかったわけ?」と詰め寄る場面がある。椰月さんも、友人の友人の話に心底驚き、さらに興味を掻き立てられ、奈月同様に、彼女の姉や母親にも会いに行った。姉とその夫はベトナムのことを覚えているし、今でもベトナム語が話せ、自分の子どもにも話していた。同じ家族でもこんなに捉え方が違うんだ、と驚いた。

小説の奈月と同様に、椰月さんもベトナムへ取材旅行に出た。南部の都市ホーチミンとニャチャンを訪れ、現地のガイドさんに案内してもらった。

「ベトナムについて、たくさんの本を読んだけれど、現地に行って、本からは分からなかったことをいっぱい知ることができました。ベトナム戦争についても、立場によって考えは違いました。それぞれが異なる経験をしているから、戦争や政治に対しての考え方がさまざまなんですね」

友人の友人と、その姉や母親から聞いた話と、ベトナムでの体験をもとに、自分だったらどうしただろう、どう感じるだろう、と想像をふくらませ、真依子と奈月、真依子の母親・春恵の三代にわたる女性たちの物語を紡ぎ出していった。

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(取材で訪れたベトナム戦争遺構のクチ・トンネル)

天啓のようにピンと来て作家に

現在、小説家として活躍している椰月さんだが、もともと小説家を目指していたわけではなかった。

「子どもの頃から文章を書くのは苦ではなかったけれど、小説家になろうと思ったことはなく、会社勤めをしていました。父親が亡くなって家業を手伝うことになったのですが、その仕事があまり自分には向いていないなぁと思っていたんです。そんな時、元カレと飲む機会があって、お互いの仕事の愚痴を話しているうちに、『こんなことなら小説家にでもなろうかなー』と何気なく言ったんです。そしたら彼が『みっちゃんなら、なれるよ!』と言ってくれて。なんだか天啓のようにピンと来て、書き始めたんです」

書き上げて、いくつかの賞に応募してみたものの「一年目はどこにもひっかからず」、翌2001年、『十二歳』が講談社児童文学新人賞に選ばれて小説家デビューとなった。

その後も働きながら作品を書き続け、「小説家一本でやっていこう」と思うようになったのは、「みっちゃんならできるよ」と言われてから7年後のことだったと言う。

「小説の題材は、日ごろニュースで気になることだったり、単純に書きたいと思ったことだったり。見つからない時は、編集者さんに提案してもらうこともあります。『美人のつくり方』は、編集者さんからイメージコンサルタントの方を紹介していただきました。服装や髪型をはじめ、一人の人の印象をプロデュースする仕事の話を聞いたら面白くて、そこから話をふくらませました」

『こんぱるいろ、彼方』には、スーパーで働く日系三世のブラジル人青年・カルロスが登場する。町中で働く外国人を見かけることが増えたが、どうして日本にいるのか、どういう暮らしをしているのか、と疑問に思ったことから物語に登場させたいと思った、と言う。

「ベトナムのボートピープルのことを中心に書くことは決めていたのですが、そのままだと読む人にとってはとても遠い世界の話になってしまう。共感を持ってもらえるように、カルロスや奈月の中学生の弟といった周囲の人々のエピソードも加えた家族小説にしました」

来日児童生徒や難民問題に関心を持つきっかけに

タイトルの「こんぱるいろ(金春色)」は、ニャチャンの海の色、ターコイズブルーの和名だ。「語感もかわいい」と気に入ってタイトルにした。ベトナムと日本をつなぐ海を表すのだと言う。

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(取材で訪れたベトナム・ニャチャンの海)

「この本を書いたことは、小説家として大きな挑戦になりました。歴史的なこと、社会的なことを書いたのは初めてで、小説家としてステップアップできた気がします。今の子どもたちは、私の時代と違って、外国ルーツの人が身近にいる環境の中で育っていて、名前や見た目が違っても壁をつくらない。その感覚はすごいなと思います。若い人たちには、いろいろなことを突破して行ってほしいという気持ちを込めて書きました」

椰月さんは「イメージをふくらませて書いた」と言うが、母・真依子の何かを深く考えることが苦手で嫌なことは先延ばししてしまう性格は、就学前後に来日した子どもによく見られる傾向ではないかと思う。

日本語力が不十分なまま小学校に入学し、

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