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不思議な話、変化。神社仏閣巡りするようになったのは両親、祖父母の習慣、病気。そして桜井識子さんのお陰

実家に神棚があった。
小さい頃、ご飯を神棚に上げる手伝いをした。紫色の幕が掛けられていたのを覚えている。私の家族は目に見えない存在を大切に扱ったのだと思う。

祖父、祖母、父、母、私、妹の6人家族で私は育った。七五三、厄祓い、車のお祓い、毎年安江八幡宮へ初詣に行った。私の家からは離れている神社。安産の神様。他に有名な神社はたくさんある。しかし、私の両親は安江八幡宮に毎年通っている。

祖父母は真面目だったのだろう。それが当たり前だったのか?
節目節目には拝殿で参拝した記憶がある。

榊をお供えする動作を覚えられず、父を見て真似した事を思い出した。初詣でに毎年家族全員の写真を境内で撮った。いつしか撮らなくなったのだが。唯一嬉しかったのは七五三さんの千歳飴。甘くて美味しかった思い出がある。

子供には拝殿の中は寒く、祝詞は長く、退屈だった。何故連れて行かれるのか分からなかった。神社のお参りが嫌だったのを覚えている。

今となっては神様とのご縁や習慣を教えてくれた両親、祖父母に感謝したい。我が娘、息子は最初から神社の参拝を嫌がらなかったから凄いなと自分を重ねて感心している。

両親、祖父母の習慣、お陰様で神社に行けば手を合わせるのは普通の事であった。大人になり、父とお付き合いのあったお坊さんの影響でおついたち参り、15日参りを知る。

おついたち参り、15日参りを知ってから住んでいる地域の氏神様には行ける時に参拝するようになった。会社の氏神様には副店長になった2013年頃から積極的に参拝するようになった。仕事が大切だったのだろう。

店長、退職に至るまで10年間、入院していた時、仕事が休みだった時以外はおついたち参り、15日参りに通った。

仕事ではいろんな出来事があった。目に見えない存在、神様のお陰で助けられた出来事がたくさんあった。大難が小難になった。売上にも助けられた。そして何事も無事に過ごす事ができた。その当時の事を問題と見れば苦しい事もあった。今という点と過去という点を繋げる。振り返って見ると良いことしかなかったと気がつく。すべては私の貴重な経験となり、私の身になってきた。

すべて私が作り出している。
感情、出来事。
問題にするのか。問題にしないのか。
すべては私の感じ方、在り方だ。
そうだと気がつくのに時間が必要だった。
今のタイミングだったのだ。

お客様から裁判を起こされた事がある。
理不尽な内容だった。
こちらの整備が悪いため、
補聴器を失くす原因を作ったと言う。

訴えてきたお客様はいわゆるクレーマーであったと思う。訴えてくる前から自分勝手な方だった。冗談か本当か分からないがいろいろ裁判を起こしてきたと以前から話していた。

理不尽な内容から訴えてきた事からみると本当にいろいろ裁判を起こしてきたのだと思う。訴えれば相手が折れて自分の思い通りになってきたのだろう。

その方は他のお客様がいても割って話しかけてくる。自分の思い通りにしようとする。値引きを要求する。前の店長の時代からずっとお客様の都合に合わせてきた結果だった。

今考えれば嫌なら買わなければ良い。他のお店に行けば良いと言えるが当時は言えなかったのだ。

今なら理不尽、あり得ないと分かる。周りも分かってくれていたと思う。責任者として現場にいるとそれが分からなかった。近すぎて見えていなかったのだ。自分で自分を苦しくしていたのだ。私たちは悪い事をしていなかった。

悪い事をしていなければ、ただ堂々としていればよかったのだ。しかし、当時の私は訴えられること=会社に迷惑をかけたと思い込んでいた。

会社の先輩から「気にしないでいいよ」と慰められたが額面通りには受け取れなかった。心の中では実際に訴えられた者以外は分かるまいと。自分で自分を傷つけ、苦しめた。

今なら分かる。額面通りに受け取って先輩ありがとうと思えば良かったのだ。

裁判の方は最終的に会社と上司が守ってくれた。相手の望みを叶えて、弁償した方が安くつく。しかし、こちらに非はない。裁判費用はかかるがクレーマーには屈しないと会社が判断。裁判は勝訴した。

結果的に訴えられた事でずっと悩まされていた面倒なお客様がいなくなるというありがたい結果となったのだ。

会社を辞めた今はそのお客様に感謝できる程になった。もちろん当時は嫌な経験だった。胃も痛くなった。自分で思い込んで身体を傷つけた。妻に聞くと病んでいたと言っていた。

今思えば自分達に非がなければ堂々としていれば良かったのだ。渦中にいると分からない。あのお客様がいてくれたから味わえた経験とその経験を乗り越えたからこそ精神的に強くなった自分がいる。

氏神様だけでなく、いろいろな神社に行ってみたいと思うようになったのは私自身の病気がキッカケだ。


2018年8月脳梗塞疑いで入院し、退院。
家族、食事、身体、仕事について考えるようになり、好きだった読書。本を読むようになる。図書館で哲学、神社仏閣、スピリチュアルの本を読み漁った。

桜井識子さん「神社仏閣は宝の山」という本に出会う。

目に見えない存在と会話できる人がいるのだと知る。私には神様、ご眷属様の声は分からない。桜井識子さんの本を読んでいろいろな神社を巡ってみたくなった。

目には見えない存在を更に敬い、想像しながら巡るようになって私自身も変化した。祝詞を覚え、本殿の前で唱えられるようになった。

病気と神社仏閣巡りで人生が回るようになったと感じている。

私が店長に就任した2014年。ここに実績の数字は書けないが売上を前年よりも2000万円程落とした。私の気持ちも落ち込んだ。

しかし、翌年2015年には2000万円以上の売上を上げ、落とした以上に回復できた。振り返ってみると9年後退職するまでほぼ右肩上がりと実績で困る事はなかった事に気がついた。

私の勤めていたお店は狭かった。狭かったがお客様の来客は不思議と多かった。氏神様にお参りしながら広い店舗を願った。

お願いしてから何年か後に隣の広い店舗が空く。以前から管理しているビルのオーナーに話をしておいたのだ。隣のお店が辞めるから話を持ってきてくれたのだ。

会社に話すとリニュアールオープンに向けて動き出す。流れるように話が進んだ。

2018年リニューアルオープンできた。
翌年2019年過去最高記録を達成。
2020年コロナ禍の中で多少売上が下がった。

私が店長になった初年度が1番売上が低かった。そこまで下がる事は1度もなかった。

徐々に客足が戻った。良い人ばかりの紹介が多く、紹介が紹介を呼んだ。私が退職するまで大きく下げる事が無かった。

いろいろなタイミングや流れを振り返ると人の努力だけではどうにもできなかったのではないかと感じる。

スタッフとお客様と私に関わる人すべての人において恵まれていたのだ。

私には目に見えない存在のお陰としか言いようがない。目に見えない存在を敬う姿勢が私を変え、成長させたのだと思う。


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