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妻のばあちゃん。

「死」に触れると「生」について考える。
3月17日(日)妻の祖母が95歳で亡くなった。

人が亡くなる時いつも考えさせられる。
〝自分がどう在りたいか?〟
〝どう生きたいか?〟
まずは自分をどうしたいのか。

と同時に相手の想いを聞いておきたい。私であれば妻の想いを聞きたい。お互いに意見を言い、共有する。コミュニケーションの大切さを感じた。

セレモニーは誰のためにあるのか?残された遺族が心の整理をつけるためにあるのではないか?

私が死んだら楽しく語りあってくれるお別れ会がいいと思っていた。

今は少し考えが変化した。
生きている間にすべてを込めたい。

生き急ぐとは違う意味合い。
次があるか分からない。
生きている時間を楽しみたい。

私の目の前にいる〝人〟を大事にしたいと思うようになった。それは私自身であり、妻、娘、息子、友人、出会う人すべてに対して思う。人と人が交わることで味わえる体験。気づきがある。

妻のおばあちゃんは料理が好きな人だった。遊びに行くと美味しい料理を出してくれた思い出がある。

だし巻き玉子。大きな牛すじ。煮物。
火をかけっぱなしにして怒られていた。

庭には植物、盆栽を育てていた。
沢山あった。

妻に聞くと厳しいばあちゃん。
身内に厳しかったらしい。

私にとってはニコニコ笑顔の可愛いばあちゃんだった。

数年前から認知症になっていた。
妻を見ても「誰や?」と名前が出てこない。
当然、私の名前も出てこない。ひ孫の名前も分からない。妻の母の名前だけは覚えていた。

手を握ると強い力で握り返してくれた。
手の温もりは今でも感触として私の中にある。

亡くなる数ヶ月前は入院していた。
妻の母は何度も病院に通った。お不動さんにお参りしていたことを知っている。

もう危篤と聞いて会いに行った際、酸素吸入の管が口についていた。それから一か月以上生きた。妻の母が呼びかけると目を開け、反応を示した日もあった。

その後コロナに罹った。医者からもうダメだと何度聞いたのだろう。コロナで高熱が出て危なかったらしいが亡くなることはなかった。人間の生きる力、力強さを見せてくれた。

私の娘が会いに行きたいと亡くなる前に会いに行くことができた。手足は浮腫んでいたが反応があった。その数日後に亡くなった。

私は出会って15年。
亡くなって無くなるではなく
思い出として共に在るということ。

一緒にいた時間。
思い出、関わりをありがとうございました。

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