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「もう野球はいいかな」苦労人・溝脇隼人の決断


元中日ドラゴンズ・溝脇隼人の決断


11月某日、名古屋市内の飲食店でドラゴンズを戦力外になった溝脇隼人と再会した。彼のSNSで見た、ハイライトのヘアスタイルがやんちゃなイメージに拍車をかけないかだけが心配だったが、実際に見るととても似合っていた。顔は少しふっくらしていたように映ったが、殺伐とした雰囲気はかけらもなく、のんびりとした日々を過ごしているのがわかる優しい表情で会いにきてくれた。

筆者とパーカー被りでした…


戦力外が伝えられてからも、ちょくちょく連絡を取り合っていたが、重大な決断は会って直接聞いた方がいい。2人ともノンアルコールで乾杯した。まず一番気になっていた「野球を続けるのか」を聞いてみた。「もう野球はいいかなと思っています」と、明かしてくれた。実は、戦力外となり報道が出た後、セ・パ12球団以外の国内の野球チームから、選手や兼任コーチで複数の誘いがあった。しかし近未来ではなく、もっと先のことを考えて、野球と距離を置くことを決めた。

心身ともにやり切った自負もある。熊本・九州学院高から、2012年ドラフト5位でドラゴンズに入団。攻守において天才肌のアベレージヒッターだったが、入団後はプロの壁にぶち当たった。2019年までは、主に2軍暮らし。非凡な打撃と鍛え抜いた守備を武器にしてファームでは結果を出してたが、なかなか1軍からお呼びがなかった。与田政権2年目の2020年からようやく1軍へ定着し始めると、主に二遊間を守るユーティリティとしてチームで存在感を高めた。

私が番記者をしていた頃、溝脇とよく話していたのはバンテリンドームの一塁カメラマン席の奥、バント練習ができるスペースだった。スマホを構え、SNSに投稿する写真を撮ろうとすると「また撮ってる。盗撮だ!」といつもつまみ出されそうになった。とは言いながら、ちゃんと撮らせてくれるところが溝脇の優しいところ。

 それでいて、どこか孤高、孤独な雰囲気を漂わせているのも、なんだか魅力的だった。実際に、野球選手との食事の席は複数のタイプに分かれる。サシでも平気なタイプと、大人数でワイワイするのが好きなタイプ。どちらも良いが、溝くんとはほぼサシで食事に行った。

練習中に使っていたバットは、ここ数年ずっと同じものを使っていた。逆ポッキーの配色で、バットの先端部分にかけてが白、グリップする根本が黒だった。スプレーでできた汚れはしっかり染み付いていたが、全く折れずに使っていた。「そのバット折れないよね」と聞くと「試合に出ないから」と冗談めかすが、試合前の練習では必ずバント練習を行い感覚を合わせ、一つの打撃のバロメーターにもしていた。

立浪竜の初勝利を手繰り寄せた東京ドーム


一躍、溝脇にスポットライトが当たったのは、2022年3月27日、開幕カードの巨人戦(東京ドーム)だった。延長10回に、左翼へ決勝の2点適時二塁打を放ち、立浪和義監督に就任後初勝利を届けた。

試合後のヒーローインタビューでは、苦労人が新指揮官の初陣を飾る劇的な結末に涙を流しているように見えたが、「全然流していない(笑)。でも、後から映像を見たらそう見えましたね。本人は全く自覚していません」と笑っていた。なら自覚せず、自然と涙を流していた可能性もあるのでは?と思ってしまったが、本人が流してないというので、そういうことにしておこう。


昨年はキャリアハイの87試合に出場。代打、代走に、内野の守備固めとユーティリティとして機能した。ベンチスタートが多い選手は単純に試合数でその貢献度がわからない。目まぐるしく変わる戦況に、常に役割を変えて準備しなければならないから。

加藤翔平、後藤駿太の両リーグを渡ってきた経験豊富な中堅ですら「失敗できない」プレッシャーと常に戦っている。溝脇も準備だけは怠らなかった。今年は春季キャンプから一塁のバックアップにも取り組み出場機会を増やしにいった。首脳陣からの期待値は低くなかったが、打率は1割7分5厘、安打数も前年の5分の1となるわずか7安打と苦しんだ。

今オフの秋季練習メニューは、オーバーホールを目的とした主力選手と同じく、場所、時間に制約されない「フリー組」だった。このフリー組への振り分けは成績を残せなかった中堅にとって手放しで喜べるものではない。それどころが、危機感だけが募ることになる。

「去年もフリーだった選手がトレード、戦力外になった。(最初の通告期間の時から)薄々、戦力外は自分なんじゃないかと思っていた。だから、知らない(電話)番号からかかってきた時、もう驚かなかった」

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