結婚式の前撮りでオレンジレンジが大暴れした話
2021年夏、北海道は記録的な猛暑に見舞われた。毎日毎日腹が立つほど暑く、「北の大地としての誇りはないのか」、「もう北海道を名乗るな」などと強い口調で罵ってみたりもしたが、そんな訴えは大音量のセミの声にかき消され、日差しは肌を焼き、コンクリートを熱し、山々の緑を色濃くするばかりであった。
そんな真夏のある日、結婚式を二ヵ月後に控えた我々夫婦は、とあるフォトスタジオを訪れていた。所謂、前撮りというやつである。
前撮りには結婚式の予行練習のような側面がある。私と夫が、初めて新郎新婦然とした姿で人前に立つのだ。当日あたふたしないためにも、この前撮りをしっかりこなし、新郎新婦としてカメラを向けられることにできる限り慣れておきたいところである。
まずは衣装選びから始まった。結婚式当日に着るウェディングドレスではなく、このスタジオの貸衣装の中から一着選ぶことになる。それに加えて和装を二着、白無垢と色打掛を選ぶ。
白無垢と色打掛は事前にスタジオのカタログを見て好みのものを選んであったので、実物を確認するのみであっさりと決まった。
ウェディングドレスは胸元に羽を敷き詰めたデザインの、ふわっとしたチュールのドレスを選んだ。結婚式当日は細身のドレスを着るので、前撮りでは裾の広がった王道っぽいものを着てみることにした。余計なリボンや編み上げなどがなく、シンプルなところも気に入った。しかしこのドレス、羽とチュールという組み合わせが如何せん天使めいている。脳内に天使と悪魔が現れたらすぐさま悪魔になびくタイプである私がこんなドレスを着て良いのだろうかと一瞬悩んだが、脳内の悪魔がうるせえ俺様が着るったら着るんだと暴れたのでそれに従った。花さか天使テンテンくんみたいな奴もいるのだから文句は言わせない。
さて、衣装が決まったあとはメイクである。前回プロにメイクをしてもらったのは成人式のときだったが、良い思い出ではない。「ナチュラルな感じで」とお願いしたにも関わらず、「写真映えを考えて~」だの「振り袖に負けちゃうから~」だの言われて何だかんだ濃いめに仕上がり、出来上がった写真は映えを超えて老けていた。
そんな苦い経験からプロのメイクに対しかなりの警戒心を抱いていた私は、メイク担当の美容師さんに必死の形相でナチュラルメイクを訴えた。美容師さんは希望を丁寧に聞いてくれて、いつもよりしっかり目だが違和感のない、いい具合のメイクに仕上げてくれた。
こちらの美容師さんの技術力の賜物であることは勿論だが、おそらく私が歳をとったのも要因の一つなのであろう。しっかりメイクがしっくりくる年齢になったのである。似合わなかったメイクが似合うようになるのだから歳をとって良いこともあるもんだなとしみじみ思ったりもした。
ヘアセットに取り掛かった頃、部屋をノックする音が聞こえて男性が一人入ってきた。
「本日担当させていただくカメラマンのYです。よろしくお願いしまーす!」
明るくにこやかな、恰幅のいい男性であった。撮影の流れについて説明を受け、撮りたいイメージなどの擦り合わせもさせてもらった。その最後に、Yさんは私に尋ねた。
「撮影中に音楽を流すんですけど、好きなアーティストとかいますか?」
「好きなアーティストですか……。」
困った。音楽は好きな方だが、好きなアーティストを一つ答えるというのはなかなか難しいものである。特にこの場合、適当に一つ選べばいいというわけではない。せっかく結婚式の前撮りという機会なのだから、私の人生において特に思い入れのある、そして今日という日の良き思い出となるようなアーティストを選びたいものである。加えてあわよくば、センスがいいと思われたい。Yさんはカメラマンである。カメラマンと言ったらオシャレ、オシャレと言ったらカメラマンである。そんなオシャレの権化から是非とも一目置かれたい。メジャー過ぎるアーティストを答えてはつまらないし、最新の流行に乗ってミーハーに思われるのも癪、かと言ってあまりにマイナーなアーティストを答えて知らなかったらちょっと気まずい。適度な知名度があり、ミーハー感は薄く、口にするだけで一目置かれるような、オシャレでハイセンスな思い入れ深いアーティスト。いるか?そんな都合のいいアーティスト。
「サブスクにあれば何でも大丈夫ですよ!聴くとテンション上がるようなやつとか!」
なかなか答えない私を優しく促すYさん。まずい。これ以上待たせては格好がつかない。待たせれば待たせる程、ハードルも上がる。知名度、ミーハー、センス、オシャレ、思い入れ、テンション。頭の中で要素が大渋滞している。どうしよう。とにかく何か、何か答えなければ!
「じゃあ、オレンジレンジで。」
何で?
脳内がバタバタしているうちに、Yさんの言った「テンション上がる」に引っ張られたのか自分でも予想だにしない名前が口から飛び出た。確かに私の青春時代はオレンジレンジの黄金期であったが、たいして思い入れはない。むしろ聴いているだけで日焼けしそうなあのノリがうっすら苦手だったくらいである。何てこった。暑さでおかしくなったのか?「やっぱKing Gnuで」って言うか?
「オレンジレンジいいっすね!ボク最近、逆に聴いてますよ!」
いや、もう言ってしまったものは仕方ない。Yさんも「逆に」聴いていることだし、私も「あえて」選んだという体で切り抜けよう。どうせ撮影の間は緊張と集中で音楽など耳に入ってこないはずだ。私は気を取り直し、「よろしくお願いします」とYさんに小さく頭を下げた。
そうこうしているうちにヘアセットも終わり、白無垢を着付けてもらった。想像以上の重さに驚いた。鏡で全身を見てみると、白無垢と相まってメイクも更にしっくりきている。ヘアアレンジもイメージ通りで、大変満足のいく仕上がりだ。
着物の重みを感じながらゆっくりスタジオに入ると、羽織袴に着替えた夫の姿があった。夫はこういう時に冒険しないタイプなので、最もシンプルな黒の衣装を選んだ。黒の着物と縦縞模様の袴が良く似合っている。
そして、私の母、母方の祖母、父方の祖母、父方の叔母の四人が勢揃いしていた。結婚式当日はウェディングドレス一着で和装はしないので、母や叔母は勿論、着物が大好きな祖母二人に白無垢と色打掛を見てもらおうと見学に招待していたのである。
「やあやあ、皆さんお揃いで。」
照れ隠しにそんなことを言いながら登場した私を見て、みんなが歓声を上げる。
ここ最近、祖母二人は体調が優れない日もあるようで、わざわざ来させるのは負担になるのではという心配もあったが、去年の冬に父方の祖父が急に亡くなって、いつ誰に何があるか分からないという思いがあった。結婚式当日、体調が悪くなり来られないという事態もあり得る。なので前撮りではあるが、新婦らしい姿を一目見せられてとりあえず一安心だ。小さい頃から散々世話になった祖母二人。就職してからも何かしら理由を付けてポケットに捻じ込んでくれたお小遣いの総額を考えると、この程度のババ孝行で恩が返せたとは到底思えないが、久しぶりに二人の嬉しそうな顔が見られて私も嬉しい。
父方の祖母が「綺麗ねえ……」と言って私の手を握る。顔を見ると、泣いていた。祖父が亡くなって気落ちしていた祖母を、どうにか元気づけたかった。今日、来てもらえて良かった。全身に大やけどを負ったことがあるせいなのか、祖母の手は細くてしわしわなのに表面は蝋を塗ったようにつるっとしている。私はその手触りが大好きだ。祖母の涙と手のぬくもりは私の涙腺を刺激したが、メイクが崩れてしまっては大変なので必死にヘラヘラして何とかやり過ごしたのであった。
家族で和やかな時間を過ごしていると、Yさんから「そろそろ始めまーす!」と声がかかった。そして大音量で流れはじめる音楽。
懐かしいイントロに一瞬「お!」とテンションが上がったが、それも束の間。オレンジレンジの曲がどういうものだったか、徐々に詳細が思い起こされてきた。
まずい。
この世で最も白無垢に不釣り合いな歌詞がスタジオに鳴り響く中、撮影はスタートした。「まずは堅めのショットを撮りまーす!」というYさんの指示に従って、夫と二人カメラに向かい厳かな表情を試みるも、厳かとは程遠いBGMに苦笑いしそうになる。
改めて聴くと何ていかがわしい曲なんだ。母、叔母、おばあちゃんズが見守る中、容赦なく流れるイケナイ太陽。イケナイ太陽がどうイケナイのか、おばあちゃんズにはとても聴かせられたもんじゃない続かないそんなんじゃダメじゃないだってココロの奥は違うんぢゃない?
ヤバーーーーーー。
非情にも流れ続けるオレンジレンジ。なんたってリクエストしたのは自分である。
人類史上最もチャラい歌い出しからはじまるオレンジレンジの出世作、「上海ハニー」が炸裂。白無垢での撮影は続く。
たまんねぇのはこっちである。
これから永遠の愛を誓おうというのに、下心とモラルを寄せたり返したりしている場合ではない。
なんて軽いんだ……。
確かこの曲のPVでは白いビキニのお姉ちゃんたちが曲に合わせてノリノリで踊っていたが、白は白でも白無垢で踊り出すわけにはいくまい。
何を言っているんだ……。こちらも帯はしまっているが……。
畳みかけるように、お次は大ヒット曲「ロコローション」である。
どう?も何もこちらとしては最悪のロケーションだが、文句を言ったところでオレンジレンジに罪はない。彼らは浜辺でビキニのお姉ちゃんたちとDO THE ロコモーションでトロピカルバンジージャンプするためにこの曲をリリースしたのであって、こんな状況で流れるとは想定にないであろう。どう考えてもこちらの不手際である。
パンチラ(パンパン)じゃないんだよ。
ウォオオ〜じゃないんだよ。
すんなーーーー!!
情け容赦ないふしだらパンチライン。冷や汗をかきながら恐る恐るオーディエンスの方を確認すると、特に訝しむ様子もなく、和気あいあいと楽しんでいる。おばあちゃんの耳が遠くてセーフ。
オレンジレンジの猛攻と共に、Yさんの撮影も徐々にその勢いを増していった。シャッター音という名のビートに乗せて、「向かい合って!」「いいですねえ!」「もう少し近づいちゃう?」「素敵!」「そのまま見つめ合っちゃう?」「あ~いい!」などとテンポよく指示しながら褒めちぎる。言われるがままにポーズを取り見つめ合うのだが、これが死ぬほど照れる。別に家でもこれくらいの距離感で視線が合うことはあるはずだが、撮影という状況下では異常に照れくさくなる不思議。緊張で口角がプルプル震える。そんな中、視線を少し下にずらすと、信じられないことに夫の鼻毛が出ていた。
「ちょっと、鼻毛が出てるよ!」
「え!うそお」
うそおじゃない。何で鼻毛くらいチェックしておかないのか。指で鼻をグニュグニュとやって「どお?」と聞いて来る夫。鼻毛、引っ込んでいる。器用か。無事に鼻毛は収納され、撮影はまた再開された。
そんなこんなで白無垢での撮影が終了し、次は色打掛に着替えた。白無垢の重さで既に疲労困憊であったが、色打掛を着てみると、何と白無垢以上に重い。着付けてくれた美容師さん曰く、この重さは糸の重さであり、私の選んだものは刺繍が盛りだくさんで特に重いのだという。金色の糸がふんだんに使われた格好いいデザインに惹かれたのだが、それが仇となった。
撮影が進むにつれ、肩が悲鳴を上げはじめる。もはや肩がツラいというレベルではなく、痛くてもげそうといった感じ。痛みに耐えながら姿勢を保ち、頭や腕の位置を固定され、更に表情は笑顔でいなければらない。何たる過酷。もう限界。肩が爆発3秒前、3、2、1 キリキリマイ!
叫びそうになりつつ、何とか和装での撮影を終えた。
次はウェディングドレスである。文字通り肩の荷が降りて、身軽になった。日本人の普段着が着物から洋服になったのも頷けるというものである。ブライダルエステでMさんに教えてもらったドレスが綺麗に見える姿勢を意識して臨んだ。
Yさんは更に様々なバリエーションのポーズを指定した。ブーケで顔を隠したあと「ばあ!」と顔を出したり、座った状態で夫の肩にもたれ掛かかり「寝ちゃって下さい!」と言われたり、大きな窓の前で向かい合い、「今……二人が……出会った……」みたいな演技をしたりした。かなり恥ずかしかったがもうヤケクソである。
私が冒頭のタイトルバックを観ただけで涙したことでお馴染み、映画「いま、会いにゆきます」の主題歌「花」が流れる。
ウェディングに相応しい曲もあって良かった。
ちなみにカラオケで誰かが「花」を一人で歌う時は、大サビ前の「ともに出会えたことそれは運命」の「運命」とサビ頭の「花びらの」が重なっているところをどう歌うのかに注目だ。「運命」を優先してサビを途中から歌い出す運命優先派と、サビを優先して「ともに出会えたことそれ花びらの」と豪快に移行するサビ優先派の二つの流派に分かれる。だから何。
さて、その後も次々と流れるオレンジレンジ。思い入れはないはずだが、不思議とどの曲も口ずさめる。それだけヒット曲が多いということだろう。
NARUTOである。
デフォルメされたキャラクターたちが右から左にテクテク歩いていくエンディングが浮かぶ。
電車男である。
結婚してすぐの頃、急に観たくなったが動画サービスはどこも配信しておらず、夫と二人でレンタルショップを探し回り隣町のゲオで一枚だけ発見して歓喜した電車男。山田孝之の名演に胸が熱くなる。
au、着うたである。
ポッキンナベイベである。
寿司食べたい!
今更ながら気付いたが、オレンジレンジに結構思い入れあるかもしれない。うっすら苦手とか言いつつ、刻み込まれている。あの頃オレンジレンジには、それだけのパワーがあった。オレンジレンジという陽の光は、斜に構えた私の薄っぺらいプライドなど突き抜けて真っ直ぐ射し込み、青春の形の日焼け痕として、いつのまにか心の中に焼き付いていたのである。
最後に私服に着替え、屋上で撮影した。この撮影には我が家の飼いうさぎ「関根」も参加してもらった。夕方の私服撮影までの間、近くのペットホテルに半日預けられていた関根。関根からすれば訳のわからないところに連れて来られて、迷惑極まりないといったところであろう。
そんな迷惑顔の関根を抱っこして、カメラに向ける。
「わあ~!関根ちゃん!可愛い!」
Yさんが関根をおだてる。しかし本人はスンとしている。
「そうか、目が横についているから、正面から撮るとカメラ目線にならないんですねー!さすが草食動物!」
草食動物であることを褒められるも、やはりスンとしている。
関根のスンとした写真がたくさん取れたところで、撮影は無事終了となった。
帰り支度をして待っていると、再度Yさんがやって来た。正式な写真データの引き渡しは一ヵ月後とのことだったが、Yさんは取り急ぎその場で数枚を選び、スマホに送ってくれた。びっくりするほど綺麗に撮れていた。
「疲れたけど、楽しかったね。」
帰りの車で私がそう言うと、夫も、「前撮りして良かったよね。結婚式が俄然楽しみになってきた!」と結婚式へのやる気を滲ませた。本番まであと二ヵ月。これから準備は佳境を迎える。このご時世ということもあり色々悩ましいが、いい式にしたい。
車は前方をヘッドライトで照らしながら、夜の高速道路を走る。先程もらった写真を改めて眺める。照れくさそうに視線を合わせる二人の姿に、結婚式へのミチシルベが見えた。
(完)
※結婚式は秋に無事終わりました。準備~当日のことを振り返って文章にしています。マガジンにまとめていきますので良かったらフォローをお願いいたします!
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