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ブライダルエステで、私は貝になった

今年の春先、私は結婚式に向けてウェディングドレスの試着に行った。着痩せするドレスを選ぶつもりが、紆余曲折あり、最終的には着痩せよりデザインの好みを優先してドレスを決めるに至った。上半身丸出しのドレスを何とか着こなしたい、いや、着こなしてみせる。そう決意した私は、可能な限り肉を削ぎ落とすべく、結婚式が行われる秋までにダイエットを敢行することを高らかに宣言したのであった。

しかしこの夏、私は某キャラクターグッズのショップで短期アルバイトをすることになっており、それが想像以上の大繁盛、フシギダネにつるのムチで打たれるが如くの大忙しで、さらにはゼニガメにハイドロポンプをお見舞いしてもらいたいレベルの記録的猛暑、というわけで家に帰ればクタクタ、毎日が慰労会とばかりに夫と二人で飲んで食っての大宴会、そうこうしているうちにも結婚式は刻一刻と迫るがヒトカゲのように尻に火がつくことはなく、魂のベースが極めて意志薄弱に出来ている私は完全にダイエットへの戦意を喪失し、とてもじゃないが秋の結婚式に間に合いそうにないとすっかり諦めモードの「ひんし」状態に陥ってしまったのである。

もうダイエットをする気力はない。しかし、せっかくの晴れ舞台で贅肉が元気いっぱい大暴れという事態は何としても避けたい。意識は低いくせにプライドが高いので始末が悪い。

そんな私に残された道はただ一つ。そう、ブライダルエステである。

しかし本当のところを言うと、私はブライダルエステに対して懐疑的であった。結婚式前に数回エステに通ったところで何が変わるというのか。おそらく効果は気休め程度で、その実態は当日に向けて気分を盛り上げるための花嫁ハッピーアゲアゲイベント的なアレに過ぎないのであろうというのがおおよその見解であった。だいたい普段から美容に気を遣っている人間ならまだしも、深夜まで酒を飲み、〆にラーメンを食らい、千鳥足で帰宅してそのままベッドに滑り込むことを生き甲斐としているような人間にエステの価値など分かるはずもない。豚にエステティックTBC、猫にフェイシャルサロン月2回メナード、馬の耳にたかの友梨ビューティークリニックである。

しかしこうなってはもう縋る思いというか、人生がどうにもこうにも立ちいかなくなり最後に占い師に頼る的な心境で、ブライダルエステに運命を託す他なかった。それに実際のところ、周りの結婚式経験者からはブライダルエステに通ってよかったという感想を聞くことが多い。ならばお金はかかっても一度くらい試してみる価値はあるだろう。意志の弱さを金でカバーする、それが大人というものだ。               

美容室の予約でしか使ったことのないホットペッパービューティ―の、エステサロンのタブを初めてクリックしてみると、札幌市内ではその数200件以上。未開のタブの中に広がっていた未知の世界で、私は良さげなサロンを探し始めた。とは言え、良さげなサロンを探そうにも自分の中でエステサロンの良さげ基準がまるで確立されていないため選びようがない。ドレスショップで真っ白なドレスに囲まれ頭が真っ白になった時の記憶が蘇る。この歳になっても世の中まだまだ知らないことだらけだ。

ブライダルの初回クーポン有、痩身エステに絞り、あとはもう口コミを見て判断することにした。口コミをざっと読みながらいくつか見て回っていると、ほとんど勘ではあるがピンとくるサロンがあった。「完全個室」、「とにかく丁寧」、「骨や筋肉についても詳しい」、「こんなに効果が出たのは初めて」という文言が目に付いた。こんなに効果が出たのは初めて、ということは、少なくともいくつかのエステサロンに通ったことのある人間の言葉であり信憑性がある。だらだら悩んでいても仕方ないので、ここに決めた。画面に浮かぶ予約完了の文字を見つめながら、ちょっとワクワクしている自分がいるのであった。


予約当日。エステサロンは中心街の真新しいビルの上階にあった。エレベーターを降りると目の前にガラスの仕切りと扉があり、マンションのオートロックのようにインターホンが付いていた。こういう開かれていないタイプのお店に来るのは初めてだったので少々緊張しつつ、予約したサロンのプレートが付いているインターホンを押すと、「ハーイどうぞ!」と声がして、ロックがガチャンと外れる音がした。

ガラス戸を開けて進み、さらにサロンの看板のあるドアをゆっくり開けると、小柄な女性が「こんにちは~」と対応してくれた。入ってみて、驚いた。

プリンセス!

部屋の中が、どこもかしこもプリンセスであった。フカフカの玄関マットの上に用意されたモコモコのスリッパを履いて廊下を進むと、白とピンクで統一された受付、あちらこちらに薔薇モチーフがあしらわれた装飾、そしてライトの一つ一つに至るまで、フリフリひらひらしている。濃度200%の超ド級プリンセスルームにロマンティック浮かれモードというより度肝抜かれモードの私は史上最大の恋が始まる前に急な尿意を催した。「すみません、お手洗い借りてもいいですか」と尋ねるとすぐにトイレに案内してくれたのだが、やはりトイレも丸ごとプリンセス、洗面からタオルに至るまで抜かりないロマンティックっぷりであった。

ふと、口コミの中にいくつか見られた「非日常の空間にテンションが上がりました!」という文言を思い出す。そうか、あれはこういうことだったのか。トイレから出て案内されたソファに座りじっと待っていると、この空間で私だけが完全に浮いているのがわかる。せめてもの気持ちで、少し口をすぼめた。すぼめたから何だ。

それにしても、こんな煌びやかな空間で行われる施術とは、一体どんなものなのだろう。私はどうなってしまうのだろう。だんだん不安になってきた。帰る頃には縦ロールのツインテールになっているやも知れぬ。目が縦に大きくなって、黒目の中に銀河を埋め込まれているやもしれぬ。

70年代少女漫画調に生まれ変わった自分の姿を想像しているうちに、先程の女性が戻って来て、ロマンティックなデザインのテーブルに、これまたロマンティックなティーカップを置いてくれた。女性は、「本日はありがとうございます。施術させていただくMです。よろしくお願いします」と床に膝を付いて自己紹介した。店内の様子に動揺して注目していなかったが、Mさんはヨガインストラクターのような服装であった。私の中でエステティシャンと言えば、オシャレな白いユニフォームを着て、髪型もメイクももばっちり決まっている華やかなイメージだったのだが、こちらのMさんは体にフィットしたタンクトップとパンツ、控えめなメイクに黒髪を後頭部でビシッとまとめ、スポーティーな雰囲気であった。しかし話し方はゆっくりと穏やかで、優しい印象。背筋がスッと伸び、所作が美しい。その洗練された出で立ちはこの煌びやかな空間の中でも埋もれることなく、むしろ存在が際立つようであった。

Mさんから滲み出るプロのオーラに魅せられ、何だかこの人なら我が身を任せられるという安心感が湧いてきた。カウンセリングも丁寧で、気になる部分などを細かく聞いてくれた。

カウンセリング後、施術を行う個室に案内された。こちらは今までの部屋とはまた違った雰囲気で、落ち着いた色味に統一され、柔らかい照明と南国風のパーテーション、そして真ん中に施術用のベッドがあった。諸々の説明をしたあと、Mさんは「準備ができたらベルを鳴らしてください」と言って出て行った。Mさんに言われた通り、私は服を全て脱ぎ、用意されていた紙パンツを穿いた。以前、脱毛サロンに通っていた頃に紙パンツを穿いた経験はあったが、この紙パンツの心もとなさというのは何度穿いても慣れないものである。一度穿いてみたものの、どうもしっくり来ないので前と後ろが逆だったかもしれないと思い穿き直してみたが、紙パンツに前も後ろもなく、結局同じことであった。紙パンツに翻弄される情けない自分が大きなドレッサーの鏡に映る。

ベッドに腰かけ、言われた通りベルを鳴らす。ベルを鳴らして呼ぶとは何だか飲食店のようであるが、飲食店と異なる点としては、こちとら紙パンツ一丁である。紙パンツ一丁の人間がベルで人を呼びつけていいのだろうか。

Mさんが部屋に戻ってきて、施術後の変化がわかるように背中の写真を撮ってくれることになった。できるだけ姿勢の良い状態で撮影したつもりだったが、実際の写真を見てみると、肩甲骨は完全に肉の中に埋まっているし、全体的にたるんだ印象。しかしビフォーアフターの写真を撮ってくれるということは、確実に改善させてみせるという自信の表れに違いない。そういう意味では期待していいのではないか。もしかしたら大抵のエステサロンではやってくれることなのかもしれないが、やはりビフォーアフターを確認できると思うと安心感がある。

「では、最初はうつ伏せからになります。お顔の位置、好きなように調整してくださいね。」

そう言われてベッドにうつ伏せになると、顔のところに穴が開いていた。顔だけをまあるく出し、真っ直ぐ床を見下ろす。何だか不思議な気分である。もし私が空だったら、こんな風に地上の民を見守るのか、などと訳の分からないことを思った。本当に訳が分からない。

「始めていきますね」と声がして、Mさんの手の平が背中に触れた。少し冷たいMさんの手で、するするといい香りのオイルが延ばされていく。そしてある程度オイルが広がったところで、Mさんの指が力強く肩甲骨の周りをほぐし始めた。

「うちはね、ちょっと乱暴なんです、ウフフ……」

優し気な物言いとは裏腹に、Mさんは私の腕や背中を容赦なくゴリゴリほぐしていく。私が想像していたエステとは、大分違った趣である。何というか、思ったより物理的なアプローチ。かなり効いている感じがある。

Mさんの動きはだんだんアクロバティックになっていき、ただ指先で揉むだけに留まらず、自分の腰に私の腕を回して伸ばしながら揉んだり、ベッドの横に屈みこむような体勢になってみたりと、様々な動きを見せた。見せたとは言っても詳しい状況は私自身「地上の民を見守る空」状態なのでよくわからないのだが、何やら全身を巧みに使って、私の体を伸ばしたりほぐしたりしているようなのであった。

次第にMさんの手はどんどん温かく、熱くなっていった。Mさんがやっていることはまさに全身運動。自然と体が暖まっていくのだろう。それを感じて、私は何だか申し訳ない気持ちに襲われた。私より小柄なMさんが、力を込めて、汗を滲ませながら施術をしている。そんな姿を想像すると「私のためにすみません」という気持ちが押し寄せてくる。何故こんなことを思うのか。考えてみると、私自身エステは勿論、プロにマッサージをしてもらった経験すらほとんどないのであった。体を揉むという行為のイメージが「お母さんの肩を揉んであげる」のレベルで止まっていて、マッサージとは厚意でするものという感覚が沁みついているのである。だから「こんなにしてもらってすみません」と必要以上に恐縮してしまうのであろう。

しかし、Mさんはこれを仕事にしているのだから、謝られても困るわけである。となれば私にできることは、とにかくMさんの邪魔をしない、それに尽きる。Mさんの指がちょうどイタ気持ちいところに入ると、つい「ウグ~」などとアホみたいな声が漏れそうになるが、そんな声を出したらMさんは「痛かったですか?」と気を遣って確認してくれるに違いない。そのような余計な心配をさせてはならない。そもそも私はマッサージ機もウォシュレットも「最強」でなければ物足りない過激派なので、痛くても全く問題ない。むしろどんどんやってくれて構わないのである。だから今はただ静かに、Mさんに全てを委ねる。私はまな板の上の鯉、いや、鯉は跳ねて迷惑なので、貝。私はこのベッドの上で、物言わぬ貝になるのだ。

そう決意した次の瞬間、絶対に一人ではできないポーズに抑えられた上で絶対に一人では届かない位置の肉をゴリゴリいかれ、思わず「ンフ~」と吐息交じりの声を出してしまった。貝、失格。案の定Mさんが「あ、痛かったですか?」と声をかけてくれる。ほら、言わんこっちゃない。

「痛かったですか?」という質問に、どのように答えたら良いか迷うところだ。痛いか痛くないかで言うと、間違いなく痛い。しかし耐えられるくらいの痛みなので、この痛みが効いている証拠なのであれば気にせずガンガンいっちゃってくださいという気持ちだ。しかし、痛みがあるなら筋肉を傷つける可能性があり加減しなければならないだとか、そういう専門的な理由があって質問しているのかもしれない。だとしたら正直に「痛い」と答えるべきであろう。どうしよう。「まずい、もう一杯!」的な感じで「痛い、もう一回!」とでも言えばいいのだろうか。迷いに迷った挙句、正直な気持ちを言おうとしたら、「痛いの好きなんでデュフフ」と大分気持ちの悪い返答をしてしまった。赤っ恥の赤貝である。

Mさんによると、私が改善すべきは肩が内側に巻いている点であるとのこと。猫背なのは子どもの頃から自覚していて、直そう直そうとはしていたがが、意識すべきなのは背中というより肩なのだそう。肩を外向きに、そして下に下げるイメージで姿勢を保つようにすると、今、Mさんがほぐしている部分、すなわち姿勢の悪さによって付いてしまった余分な筋肉がだんだん退化してスッキリしていく、ということらしい。Mさんの熱い手の平が、私の永久凍土と化していた肉を溶かしていく。これは絶対に効果があるという確信を、文字通り肌で感じた。

上半身が終わると、次は顔である。指先を細かく、優しく使って、何やらいい香りの美容液が導入されていく。気持ちいい。未だかつて顔面をこんなに丁寧に扱ってもらったことがあっただろうか。あまりの心地良さに先程までの申し訳ない気持ちなど通り越し、途中から完全に寝ムール貝であった。

「はい、お疲れさまでした」というMさんの声でハッと目を覚ます。2時間程の施術が終了。ベッドに座り、先程と同じ姿勢で写真を撮ってもらった。服を着替えて最初のソファに戻り、撮ってもらった写真をスマホに送ってもらう。すると驚いたことに、施術前と比べて施術後は明らかにすっきりしている。想像以上の変化だ。たるみがマシになっているし、全体的に細くなっている。Mさんもニコニコしながら両手を合わせて「わあ~!かなり変わりましたね!すごい!」と言ってくれたので、褒められたような気になってデヘヘと照れ笑いしたが、私はただ寝そべっていただけである。何の手柄もない。

Mさんはその後も時間をかけて、習慣的な体の癖を直す方法や歪みを矯正するストレッチ、ドレスを着たときの姿勢のコツなどを惜しみなく伝授してくれた。

「ぽっちゃりしてたっていいんですよ。体型は人それぞれで、結局大事なのは姿勢。正しい姿勢が身につけば、それだけで綺麗になるんですよ!」

Mさんの心強い言葉に、失われたやる気がじわじわと蘇っていくのを感じた。

Mさんからは営業トークのようなことは一切されなかったが、結果が何よりの決め手となり、私は帰宅後すぐに数回分のブライダルエステコースを申し込んだ。花嫁ハッピーアゲアゲイベント的なアレなどという考えはとんだ間違い、ホラ貝であったのだ。やはり何事も経験してみなければわからないものだと、しじみしじみ思った。

せっかくエステに通うのだから、Mさんが教えてくれた姿勢を意識して生活してみよう。大幅なダイエットは難しくても、最低限食べ過ぎ飲み過ぎは気を付けよう。そんな風に思えるようになった。ブライダルエステは私の体だけでなく、気持ちも変えてくれたのだ。プロの力を借りながら、結婚式までに贅肉という名の砂を吐き出し、当日はパカッときれいな姿で開いてみせる。そう心に誓ったのであった。



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※結婚式は秋に無事終わりました。結婚式の準備~当日のことを振り返って文章にしています。今後もマガジンにまとめていきますので良かったらフォローをお願いいたします。


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