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【千田琢哉】『どんな時代にも通用する「本物の努力」を教えよう』

同書からの抜粋となります。

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基礎を盤石にしたら、
一流から強弱の塩梅を盗む。

仕事ができる人、
つまりプロになるということは、
手の抜きどころを
知っている人になるということである。

こんなことを書くと、
「仕事で手を抜くとは何事か!」
と真面目なエリートたちから怒られそうだが、
脳神経外科医でも、国際線のパイロットでも、
一流のプロは例外なく、
手の抜きどころがわかっている。

換言すれば、どこに力を入れなければならないのか、
どこを絶対に外してはならないのかを熟知しているということだ。
つまり、力の入れどころでの強弱の塩梅をわかっていることが、
仕事ができるプロの条件なのである。

ただし、これはある程度仕事をこなして、熟練の域に達した場合だ。
新入社員やニューフェイスという経験不足の立場にいながら、
必死に手の抜きどころを探すのは間違っている。
まずは基礎を盤石にすることが不可欠であり、
その道のプロたちから見て
満場一致で「プロだ」と認められるまでは、
満遍なく基礎を習得することに
フォーカスしよう。
基礎を盤石にするということは、
無意識に体が反応するレベルにまで達した状態
と考えたい。
その上で、次の課題として、一流のプロから強弱の塩梅を盗むのだ。

最初から答えや理由を聞くのではなく、
まずは自分の仮説を立ててから
聞くことが必要だ。


多くの場合、新人の立てた仮説は間違っているが、それでいい。
仮説というのは正解か否かが問題ではなく、
自力で構築したか否かが重要だからである。

私にも会社員時代に師匠というべき存在の上司がいたが、
彼はいつも答えを即座に教えてくれた。
しかし、その答えになる「理由」は絶対に教えてくれなかった。
たとえば数学の難問を質問し、
サクッと答えだけを教えてもらっても、
そこに至るプロセスがわからなければ意味がない。
つまり師匠は私に、答えから逆算してプロセスを考えさせたのだ。
これは私の頭を大いに鍛えてくれた。
いまだに解けない問題もあるが、ずっと考え続けている。
これはほぼ、臨済宗の公案(禅問答)や、
曹洞宗の開祖・道元の
「修行こそが悟り」というあり方に近いのかもしれない。

師匠からあらかじめ答えを聞いて、
そこに至る"プロセス"を
ひたすら考え抜くことによって、
私が得たものは非常に多い。

あの頃に比べたら、それ以降の私は、
何も頭を使っていない状態に等しいくらいだ。

POINT
難問に取り組んで、答えに至る"プロセス"を
自分の頭で考え抜こう。

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努力のプロセスが
好きになれたら、
それが幸せだ。

究極の「幸せな人生」とは何だろうか。
成功してお金持ちになることは、確かに幸せに違いない。
成功しないよりも、したほうが絶対にいい。
それは私が断言しておく。
だが、以上を踏まえた上で、もっと幸せなことがあると私は思う。
それは、
「成功までの道のりが楽しい人生」
を歩むことだ。
なぜなら成功の喜びは一瞬で終わり、
同じレベルでの感動や感激は長く続くことがないのに対して、
成功に向かって努力しているそのプロセスは長期的に継続され、
数え切れないほどの感動や感激が経験できるからだ。
私がこれに気づいたのは、会社員時代である。
チームをつくってプロジェクトを担当していたのだが、
いくら結果が大成功で終わっても、そのプロセスがつまらなければ、
本音レベルで「この仕事は成功!」とは思えなかった。
むしろ、「もう二度とこんな仕事をしたくない」というのが私の本音で、
多少儲からなくてもプロセスが楽しそうな仕事を選び、
また、そうなるように周囲を仕向けてきた。
トータルで見ると成功率はそれほど変わらなかったが、
だからこそ、より一層プロセスを楽しむほうが幸せだと確信した。

現在の私は、もちろん成功や売上にはこだわっているが、
それ以上に「努力のプロセス」についてこだわっている。
努力のプロセスが好きになれないようでは、
今回の人生は失敗だ
とさえ思っている。
の努力のプロセスが好きになる方法はシンプルで
自分で考えて、自分で決めて、自分でやることだ。
これ以外に、努力のプロセスが好きになる方法はない。
自分で考えるといっても、
もちろん、他人の意見を聞くなということではない。
むしろ他人の声は真摯に傾聴すべきであり、
独りよがりの努力にならないことが大切だ。
特に結果を出している人、出し続けている人の意見には、
全身全霊で耳を傾ける価値がある。
その上でとりあえずやってみて、もし結果が出なければ、
原因を分析し、たとえば自分流にアレンジしてみるといいだろう。

ただし、あくまでも人生の主人公があなたであることは、
忘れてもらいたくない。
「やる」と決めたのはあなた自身であり、
成功したらあなたのおかげ、
失敗してもあなたの責任だ。
心からこう思えることで、あなたは幸せな人生を送ることができる。

特に現在では、ネットでいくらでも情報が手に入る。
私の専門分野に関するネット動画や情報を見ても、
「この途轍もない知恵が無料でいいのか」と驚愕したり、
「きっとこの価値がわかる人は1%もいない」と納得したりする。
価値がわからないのは、自分で考えて自分で知恵に到達するという、
努力のプロセスを経ている人が、ほぼ存在しないからである。

手っ取り早く役立つ情報ばかりを
取りに行っていると、
他人の人生を生きてしまうことに
なりかねない。

どうか自分の人生は、自分の力で切り拓いてほしいものだ。

POINT
結果ではなく、成功までの道のりを楽しもう。
自分で考え、自分で決める人生は最高に楽しい。

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喜んでもらえると、
それが好きになることも
ある。


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努力の完成形は、
ありのままの自分を
自然に差し出すこと。

禅の世界観を表現した「十牛図」という絵がある。
見たことがある人も多いと思うが、一度ネットで確認してみるといい。
そこには牛や人間や自然が描かれた絵が10枚並んでいる。
これらの絵はストーリー構成になっており、
それらは悟りの"プロセス"を教えてくれている。
いかにも東洋哲学らしく、
理屈ではなく直感で悟るものだから詳細には触れないが、
興味深いのは最後の10枚目の絵だ。
10枚目の絵の名前は「入鄽垂手」と名付けられているが、
恰幅が良く頭の禿げた中年男性と男児が、自然を背景に描かれている。
実はこれは「悟りの最終形」を意味したものではなく、
「悟った後の姿」が描かれているのだ。

悟りの最終形は8枚目とされており、それがどんな絵かと言えば、
「人牛倶忘」と名付けられた、ほぼ白紙の絵である。
この8枚目の「空白」の状態こそが、釈迦の悟りの境地だったのだ。
ここで終わらせておけば美しかったのに、
なぜ10枚目までが用意されているのだろうか。
せっかく悟ったのに、悟ったその後で、
こんなに冴えない人生が待っているとは、
拍子抜けしないだろうか。
こんな冴えない人生になるのなら、
悟っても意味がないと思う人もいるだろう。
しかしこれこそが、禅の世界を見事に表現している絵なのである。

悟りの先に、なぜこんなに平凡でダサい人生が待ち受けているのか。
お答えしよう。
悟っても、人生は何も変わらない。
それが私の解釈だ。
悟ったからといって、超能力者になれるわけでもなく、
IQの数値が倍になるわけでもない。
ましてや、お金持ちや成功者になれるわけでもない。
ただこれまでと何も変わることのない日常に、身を置くだけである。
普通に生きて、普通に死んでいく。
悟った人は、日々粛々と成すべきことを成し、
何が起ころうと成すがまま、あるがままに、
自分を自然に差し出すのみである。

自分という本質には、いかなるものでも触れることはできず、
ただ、目の前に起こる現象を淡々と受容するのみだ。
自分がそう悟っていることを、
宇宙の他の誰でもなく、自分だけが知っていればいい。
努力もこれと同じではないだろうか。
努力もただ、日々粛々と成すべきことを成すだけの行為である。
何が起ころうと成すがまま、あるがままに、
自分を自然に差し出すのみである。
そして、ただ、起こっている現象を淡々と受容するのみなのだ。
結果とか、リターンとかは関係ない。
自分が努力をしていることは、
宇宙の中で自分だけが知っていればいい。


命ある限り努力を継続し、自然体で飄々と生きるのだ。
そして、もし疲れたら、いつでも一休みしよう。

POINT
結果やリターンなどは気にしなくていい。
努力すること自体に価値があるのだ。




こちらの内容は、

『どんな時代にも通用する「本物の努力」を教えよう』

発行所 株式会社学研プラス
著者 千田琢哉
2020年7月14日 第1刷発行

を引用させて頂いています。



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