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資源としての人材 ─ Singapore 6

 私は、2011年1月から3月までシンガポールに滞在して、アジア、とくに東南アジアの社会と行政について観察し情報収集を行った。その作業はまだ途上であったが、3月11日の東日本大震災のために、その後の観察は断念せざるを得なかった。今、当時書き綴ったコラムを読み返して、今でも、多くの方に伝える価値があると思い、このNOTEに掲載することにした。その第6弾。

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 人口400万人、面積710平方㎞、佐渡島より小さく、しかもマレーシア、インドネシアと隣接するこの国シンガポールが、独立を維持しさらに発展していくためには、この国は何を考え、どのように国家経営を行うべきか。

 国家を維持し、安心・安全な生活を国民に提供するためには、社会を安定させ、経済を成長させなければならないが、それには何といっても資源が重要である。しかし、天然資源は皆無に近い。資源といえるかどうかわからないが、マラッカ海峡の出口という地理的なロケーションは他にない優位な点であるが、それをいかに活用するかは、そのためにいかに知恵を出すかによる。

 そして知恵を出すための資源は、といえば、「人」しかない。しかし、人口も横浜市程度とすれば、国民の中にいる人材の数も限られている。仮に国家運営に携わることのできる潜在的なエリートの比率が人口のうち0.1%だとすると、この国では、4,000人しかいないことになる。日本の場合は、人口1億2,000万人であるから、その0.1%は12万人、人口13億人を超える中国は、130万人・・・その計算はともかく、絶対数として優秀な人材が少ないとすれば、知恵を出してくれる人間は、外から連れて来なければならない。

 企業でも、研究機関でも、大学でも、高給を払って海外の人材を積極的に呼んでくる。そして彼らに潤沢な研究費や活動費を与えて、知恵を生産させる。知恵を生産し、情報に付加価値を付けて、それを世界に売り出し、儲けて国を豊かにする。

 この国では、国を挙げてこうした政策が実行されている。世界の最先端を行く研究機関を設置し、あるいは優遇策を講じて企業の研究所を誘致し、そこに優秀な研究者を世界から集め、潤沢な研究費を与えて先端的研究をさせているのである。そして、さらにそうした優れた人材を呼び寄せ、留まらせるために永住権も付与しているそうである。

 こうした人材は、研究者であれ、ビジネスマンであれ、先端的な研究をし、大きなビジネスで成功することをめざして、この国にやってくる。だが、あくまでも彼らが追求するのは、研究者としての名誉であれ、巨額の報酬であれ、個人の利益である。したがって、それを追求する上でよりよいところから声がかかれば、この国を去って行ってしまうかもしれない。要するに、国家に対する忠誠心は必ずしもないであろう。

 したがって、彼らに国家経営や政策決定という最も重要な役割の多くを任せるわけにはいかない。それでは、かつての帝国主義の時代のように、どこかの国の植民地になってしまいかねないのである。それを防ぐには、外国人の人材はあくまでも雇うのであり、彼らを雇い彼らを管理するのは、愛国心を持ち、国家のために身を捧げる自国民のエリートでなければならない。

 そうだとすると、少ない人口のなかから、どうやってそのような国家経営のエリートを育成していくのか。先に述べたように、潜在的なエリートの比率は、どの国でもそれほど変わらないとしても、それはあくまでも潜在的な人材である。潜在的な人材も、教育を経てその能力を顕在化させてはじめて現実に有能な人材となる。

 そうだとすると、その方法は、潜在的に優秀な人材を早い段階で選別し、その者に特別のエリート教育を行い、活用できる人材を生み出す確率を向上させるしかない。この国の公務員制度も、小学校段階からの選別と、エリート教育、とくに国費による海外留学の支援制度、そしてその能力に応じた報酬制度は、そうした戦略を具体化したものといえよう。

 国民と国家にとって最も重要なものの一つが、国に忠誠心を持ち、国家経営を担う人材である。かつて明治期の日本は、その点を自覚し、優秀な人材を官僚として育成してきた。司馬遼太郎の「坂の上の雲」が描く明治期のエリート像である。今日、能力がないにもかかわらず、特権にしがみつく官僚は排除しなければならないが、エリートを育成し、彼らの能力を最大限発揮させなければ、いかなる国であれ、衰退へ向かうといえよう。この国のエリート養成制度は、上述のように、非常に洗練されているが、同様の制度や発想は世界の多くの国で当然のことと考えられていることは忘れてはならない。         (2011年1月29日)

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その後、他の東南アジア諸国も追随しているが、当時のシンガポール政府の次官クラスの年俸が5000万円以上、局長クラスでも3〜4000万円と聞いて、驚いたことを思い出す。彼らの考え方は、民間企業との人材の取り合いの中で、優秀な人材を獲得するためには、それにふさわしい待遇を提供することが必要というものである。それまで、アジアの公務員の課題は、何とっても腐敗であった。それは低報酬と賄賂の世界だったのだ。それを一新し、必要な人材は、それにふさわしい待遇を提供して獲得するという方向に政策転換をして成功しつつあるといえよう。ちなみに、シンガポールの次官、局長ククラスの退職後の年金は、現職のときの年俸の70%位とか。さらに驚いたのは、それでも退職後その年金を受けてるものは多くないとのこと。彼らの多くは、もっと高額の年俸で民間企業に雇われるそうである。わが国の公務員制度も、大胆な改革をしなければ、優秀な人材は来なくなるといえよう。