「それって、行動するのに正しい理由?」動機やきっかけは、どうでも良いです
何かを始める時には、大抵、どうして始めたのかという理由がある。そこで人は、その動機が不純だったり、あまりにも感情的だったりすると、これは正しい判断ではないのかな?と、不安になる。
結論:どうなるかは未知の世界
大変無責任、且つ、投げやり状態にも聞こえるけれど、動機やきっかけがどうであれ、うまく行く事は、うまく行く。
勿論その真逆が、どれだけの正当性を持って始めた事/始まった事であっても、失敗だった、無駄だったと後悔する事は多々あり、更には、やらなければ良かったと、落ち込んでしまう。
極論1:止めても、ダメでも、必ず先へと繋がる
以下の例は、自分の人生に起こった、いわゆる『終わりよければすべてよし』の様なものです。
1-a. 親に勧められた私立高校には行かず、都立高校へ進んだが、全てにおいて馴染めずに不登校が重なり中退<--自分で決めたのに失敗
1-b. 父親の転勤に伴い台北に行き、Taipei American Schoolへ編入<--高校中退から抜け出せる気配
1-c. 帰国子女受け入れ校の、都内女子高校に入れて頂き、3年遅れで、めでたく高校卒業。
極論2:失敗や挫折の時点で生まれる、無限大の可能性
うまく行く、と、信じて始めたけれど続かず、貴重なお金や時間を、無駄にしてしまったと考えてしまう。
それはそれで仕方ない。でも、その時点で既に、もう無限大の可能性は広がっている。
2-a. 運命の出会いと信じて共に人生歩み始めたけれど、離婚<--あまりにも悲惨でただ呆然。
2-b. 暫くして、再婚の道を目指し婚活開始<--新たな可能性を目指していると言えばそうだが、未だ自分の進むべき道に気付いてない。<--『うまく行かない事は、うまくいかない』の、良い例。
2-c. 婚活の為に外側だけを磨く愚かさに惨めさ増大--> 内側から変わり、自立したいと思う-->『そうだ!もう一度何かを真面目に勉強しよう。』-->約5年後、アメリカの大学で学士号を習得する。(Graduated Fashion Institue of Technology with BFA=Bachelor of Fine Art, Fashion Design)
まとめ: 究極の感情は、身の程知らずの決断を生む
自分の留学の動機は、この何とも説明し難い惨めさにあった。離婚後に、専業主婦で、何の専門技術も無かった自分が感じていたのは、ひたすら『惨めさ』。今客観的に振り返れば、究極に感情的な精神状態だなと思うけれど、それはそれなりに、純粋な想いだったのだろうし、中々、突拍子もない考えを生み出すものだ。
追記:
後少し、お付き合い下さい一つ大事な事を、最後にお伝えしたいのです。この記事に書いた自分の意見にひとつだけ例外があります。それは、動物を飼ったり、引き取ったりすると決めたならば、最後までやり通すべきです。動物の面倒を見るということは、その命の最後の瞬間を看取ってあげる事。自分は、そう信じています。致し方のない事情や出来事は起こります。でも、家族である事を決して忘れないで欲しいです。
少々、感情的な文面になってしまいました。実は、日本のニュースで、このパンデミックが始まり、日本でも動物を飼う人達が増えたと聞きました。その中で、ほんの一握りの心無い飼い主達が、一緒に暮らしてみたらやはり犬の匂いに耐えられなかったとか、鳴き声がうるさすぎる、この様な理由で、この犬達は動物の保護施設に持ち込まれた。という、あまりにも身勝手な話でした。
どうしても、これだけはきちんと記して置かなければと思いました。
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