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自己紹介⑦ 親孝行が自己犠牲になってしまった2代目社長時代

「会社を手伝ってくれないか?」

バンドを解散して、3カ月くらいが過ぎたころ、父からそんな電話があった。僕が大学を卒業したのと同じ時期に、8年程勤めていた清掃会社をやめ、自分の清掃会社を始めたのだ。それから5年程が過ぎ、パートを10数名雇うほどの会社に成長していた。しかし、後継ぎがいない。ということで、僕がバンドをやめたことを聞き、会社を手伝ってほしいと連絡してきたのだ。

実は、それまでも何度か誘いがあった。しかし、やりたいことがあったので、断り続けていたんだ。ところが今では、バンドは無くなった。バンドが無くなってからというもの、僕はこれからどうやって生きていけばいいのか分からなくなった。毎日、アルバイトには行く。帰ってくる。ご飯を食べて、お風呂に入るともうすることがない。退屈だ。インターネットで色々と気になってる仕事を調べてみる。プログラマーや料理人、声優なども調べた。でも何か心躍るものがなかった。単にお金を稼ぐための仕事に興味が持てなかったんだ。

自分がどうやって生きて良いか分からない……

バンドで売れなかった以上に思い悩む日が続いた。そんなある時の父からの誘いだった。

ぶっちゃけた話、父の会社の事業内容に全く興味がなかった。清掃業というは、汚い、キツイ、危険、給料低い といういわゆる4Kの仕事。その仕事に僕が就くなんて想像もできなかった。僕が掃除好きであれば、多少は興味を持っただろう。しかし僕は、そういうわけではない。清掃という生業に全く興味がない。しかし僕は、父の誘いに乗ることにした。その理由はただ一つ。親孝行だ。これまで散々、両親を心配させ、苦労をかけてきた。そんな罪悪感がずっと僕の中にあり、いつか親孝行をしたいと思っていた。それは、バンドが売れてからしようと思っていたのだが、もうそれもかなわない。なので、父の経営する会社を手伝うことによって、両親に親孝行することにしたのだ。僕は父に電話し、会社を手伝う旨を伝えた。その時の父は、どこか嬉しそうな声をしていた。

それから2カ月後、アルバイトをやめ、これまで着たことのない作業着を身に纏っていた。しかも、役職がいきなり代表取締役社長。清掃のことが何も分からないのに、経営陣の一人に就任した。つい最近までフリーターだった僕が、いきなりパート10数名を抱える会社の社長である。会社の責任を負う立場にあるということの重圧を一気に実感し、いよいよ覚悟するときが来たんだと自分の襟を正した。

僕の最初の仕事は、建物の巡回点検。東京、埼玉、神奈川にある賃貸アパートの建物や設備、利用状況を点検してまわり、レポートを作成するという仕事だ。まずは現場を覚えるということからスタートし、それ以降、本当にたくさんの業務をやっていった。マンションの共用部の機会洗浄、賃貸物件の退出後のクリーニング、アパート廊下の切れた電灯の交換、ホテル従業員廊下の清掃、ホテルの浴室清掃、雑草刈、植木の選定、ハチの巣駆除、折れたアンテナ交換、アパート敷地内の死んだ猫の始末、不法投棄ごみの処分などなど、本当に様々な業務をしてきた。中でも記憶に残るのが、5メートル以上高い木の上にあるカラスの巣の撤去、そして、腐乱した孤独死老人がいた部屋の特殊清掃、夜逃げした賃貸物件の後処理。これらの業務は、これまで関わった中でも特殊で、今でも鮮明な記憶として残っている。

僕は、清掃業というものを甘く見ていた。様々な業務をこなすうちに、清掃業の見方が変わっていった。関わった業務の中に、さまざまな社会的な問題が含まれていることが分かったんだ。ゴミ処理、不法投棄、老人の孤独死、夜逃げなどなど。清掃業というのは、社会の影の部分がとても反映されていて、社会問題の縮図のように感じたんだ。清掃業への興味も少しずつ高まり、いつのころからか、地球をもっと綺麗な星にしたいと思うようになっていったんだ。それまで僕は、地球のことを考えたことは無い。しかし、毎日毎日ごみの分別をしたり、不法投棄の処理なんかをしていると、どれだけ地球に無駄があり、ゴミがあり、汚されているのかも、いやでも実感する。

地球ってどれだけ汚れてんだよ!

ってことに気づき始めたんだ。ちょうどその時期に姪が生まれたんだけど、その存在があまりに純粋でね。この存在を汚したくないって感じたんだよね。そのためには、地球を綺麗にしなきゃ、って。そんなことを思うようになっていったんだ。

少しずつ清掃業への関心、考え方が変わり、仕事もできるようになり、少し欲が出てきて、新事業を立ち上げたい気持ちが湧いてきたんだ。具体的なことは何かは決まっていなかったけれど、不動産系の資格は持っていても損は無いと思い、マンション管理士と宅建の2つの国家資格を取得した。これによって、不動産取引やコンサルティングができるようになった。防災についての知識は役立つと思い、防災士の資格も取得。3つの資格を取得したけれど、結局そこから仕事につなげることはできずに終わった。そこで次に取り組んだのは、内装業。賃貸物件だと入居者が退室した後は、必要があれば壁紙の張替えなどの内装が入り、ハウスクリーニングが入るという流れになる。これを一気に引き受けてしまおうというわけだ。これはすぐにうまくいった。すぐに仕事がいただけたし、自社だけでなく他社との連携で納期にも遅れずさばくことができた。僕も内装の仕事を教えてもらい、現場に立って作業していた。内装というのは、プラモデルを作っているみたいで楽しかった。ようやく仕事が楽しくなってきたんだ。

父の会社を手伝うようになってから、かなり働いた。3LDKのマンションに1人で住み、車があって、バイクもある。バンド時代にした借金もほぼ無くなった。仕事が無くなることは無いし、お金も毎月入ってくる。ただ忙しかった。月曜日から土曜日まで毎朝6時には家を出て、帰宅は8時。毎日、身体を使った仕事をして、疲れもあまりとれない。唯一の休みである日曜日も緊急なことがあれば駆け付けなければならない。だから気の休まる時が一日もなかった。仕事から疲れて帰り、家には僕ひとり。風呂に入り、ご飯を食べる。寂しい。そして、退屈。確かに、清掃業は興味深いし、内装の仕事は面白い。でも、これがやりたい仕事だとは感じなかったんだ。

俺、なんのために働いてるんだろう…

そう考えたら、父の会社を手伝い始めたのは、親孝行したいからだった。でも、親孝行のためとはいえ、あまりにもキツイ生活。興味深く面白いとはいえ、僕には働きがいが特にあるわけでもなく、お金のために働いているような気分。この仕事をして、いいことも沢山あった。これまで体験できなかったことも体験できたし、社会の裏側を知った感じもする。借金も返せてきた。そして、何よりも父や母との交流が増え、会話が増えたことは、何よりも嬉しいことだった。父とは仕事のことで喧嘩もしたけど、一緒に競馬に行ったり、ゴルフに行ったりして、一緒に遊んだ。子どもの頃にあまり遊べなかった時間を取り戻したような気分だった。これまであった家族の壁が少しずつ溶けていくような感じがしたんだ。母との会話も増え、僕の中にあったわだかまりみたいなものも完全ではないけど、小さくなっていった。両親との関係性が大きく改善したのは、本当に嬉しいことだった。でも、これから先もこの仕事を続けるのかと言うと、僕はYes! と声を出して言えなかったんだ。

親孝行。僕は、そのために父の会社を手伝った。でも、それ以外に理由がなかったから、だんだんと清掃や内装の仕事をすることが苦しくなっていったんだ。その気持ちはやがて、やめたい! に変わっていった。しかし、やめることができなかった。やめたからと言って、何かやりたいことがあるわけでもないし、何ができるかもわからない。そして何よりも、やめてしまうと親に勘当され、親子の縁が切れてしまうのではないか? という恐怖があったんだ。やめたいけど、やめれない。そんな葛藤をずっと続けた。その葛藤は結局、自分の未来を諦める という形で決着することになる。

続く



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