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16年間のセミナー講師生活に終止符を打つことにした

2008年3月20日。その日は、僕が初めてセミナー講師として登壇した日。ちゃんと話せるかな? 、参加者に満足してもらえるかな? そんな不安で足を震わせながらも、未来に期待して、なんとかやり切ったセミナー講師デビュー。それから16年。これまで国内外あわせて300以上のセミナー開催に携わり、講師としてプロデューサーとして運営統括としてセミナーに関わってきた。僕は、セミナーを作ることが好きで、寝ても覚めてもセミナーについて考えてきた。天職だと感じている。しかし僕は、16年続けてきたセミナー講師という職業に終止符を打つことにしたんだ。

天職ともいえるセミナー講師をやめる。その理由はただ一つ。

理想のセミナーを作りたいから。

僕には想い描いている、理想のセミナーというものがある。それは、『全ての人が本当にやりたいことをやれる世界』 に存在するセミナーで、何年もそのイメージを持ち、つくろうとしていたんだ。新世界をつくる、セミナーをアートにする、火星でセミナーをする などと様々な表現をしてきているけど、それらは多次元的にとらえている理想をそれぞれの角度で表現しているに過ぎなくて、むしろそうした多面的にしても表現しきれない。そこをずっとなんとかしたいと思っていたんだ。

様々なアプローチで手を変え品を変え表現をしようとしていたけれど、理想のセミナーは作ることができなかった。それどころか、理想とは真逆の凡庸なセミナーにしかならなかった。その原因は、どこにあるのか分からなかった。だけど、ようやくわかったんだ。理想のセミナーを作る大前提として、

僕自身が、過去の文脈でのセミナー講師でいる限り、理想のセミナーは決して作れない

ってことに。


僕自身が新世界の生き方をしなければ、新世界に存在するセミナーは作れない。実は、そんなことはとっくに気づいてた。だけど、セミナー講師というものに執着があってなかなか手放せなかったんだ。だけど、両親が立て続けに亡くなり、死と生と存在を見つめ直してきたときに、過去の文脈であるセミナー講師、セミナー作りというのは手放すことにした。そうしなければ、理想のセミナーは、作れないんだ。


2007年、僕はシンガポールのセミナーで世界トップスピーカーたちのプレゼンテーションを見て、セミナー講師になることを決めた。僕が彼らに衝撃を受けたのは、実績でも知恵でもなく、エンターテイメント性。20代にバンド活動をしていた僕は、彼らを見た時にエンターテイメント性の高さに衝撃を受けたんだ。音ではなく言葉で自己表現する。エンターテイナーであり、パフォーマーであるセミナー講師に憧れて、この世界に入った。

それから16年、セミナーについて様々な研究をしてきた。その研究の過程で、いつしか

セミナーをアートにしたい!

という想いが湧いてきた。実践し研究を重ねたけど、どうにもうまくいかない。全てがこれまでの研究の範囲、過去のデータの範囲にこじんまりと収まってしまうんだ。全くアートにならない。そうなってくると、私はセミナーこうしてである、という大前提を変えていくしかない。

このまま続ければ、その品質は高まるだろうし、面白いこともできるだろう。エデュケーションとしては進化をもたらすかもしれない。だけど僕が創りたいのは、アートとしてのセミナーであり、エデュケーションもエンターテイメントも包括しているセミナーなんだ。

死と向き合い
生と向き合い
存在と向き合っていく中で
そして、もしかしたら明日はいないかもしれないという当たり前の中で
自分という命の使い方を考えると

過去の文脈にあるセミナー講師をやめること

そして

理想に生きること

が僕の生き方だなと。


僕は、セミナー講師をやめる。厳密にいうと、『過去の文脈にあるセミナー講師』 をやめることになるんだけど、そうなってくると傍目にはもうセミナー講師に見えないし、セミナーをしているようにも見えない。単に、趣味に走っているようにも見えるし、芸術家のようにも見えるし、何もしていないようにも見える。だけど、しっかりとセミナーになっている。そんな理想のセミナーをこれから作っていくことにした。

セミナーを愛しているがゆえに
セミナー講師として生きるために
セミナー講師をやめる。

そして、理想のセミナー講師として
理想のセミナーを作っていく。


これが48歳の僕の挑戦だ。

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