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16大哲学者を漫画でまとめる(3)

 このシリーズも折り返し地点を過ぎて今回が第3回目となる。(1)がギリシャ哲学(2)が近代認識哲学、そして(3)が近代行動哲学、次回(4)が実存主義哲学となる。

 「哲学に興味があります」という人は多いが、哲学書を手に取ると難解に書かれてるし、市販の哲学入門を開いてもあまり整理されてなく途中で挫折する人は多い。

 しかし、このシリーズは4コマ漫画で1人の哲学者を描き、16×4のわずか64コマで哲学史の全てを描き尽くす。

第9話 マキャベリズム

 ルネッサンス期イタリアに生まれたニッコロ・マキャベリの名前を知らない人はいないと思うが、「君主論」のモデルとなったチェーザレ・ボルジアの名は日本では知名度が低い。
 漫画にもなり、Wikipediaにもある通り、なんと教皇の実子である。それだけでも驚きだが、母親が有名な遊女、兄弟が多い、そして父親の教皇が非常に悪いことで知られ、財産没収目的で暗殺している噂まで立つほどだった。

 そんな希代の悪教皇アレクサンデル6世と息子チェーザレ・ボルジアのコンビは最強、いや最凶であり、同時代のマキャベリもフィレンツェの外交官として渡り合う。3コマ目の左にあるユリウス2世は自ら軍勢を率いる破天荒さで、現代の常識では全くわからない滅茶苦茶な時代と言える。
 第1話で哲学者パルメニデスが「汚物や泥、髪の毛」も見よとソクラテスを叱る場面があるが、このマキャベリも現実の汚いものを十分に踏まえた点で共通しており、あちらが認識過程の第1段階なら、こちらは行動過程の第1段階といえる。

第10話 リヴァイアサン

 17世紀イギリスのホッブスもまたよく知られている哲学者で、現代人がよく知っている「リヴァイアサン」という書名と、互いに争い合う自然状態の話を中心に4コマにまとめた。

 実は、哲学過程的に重要なのは2コマ目の「人間機械論」の箇所で、第2話と対称性を成している。ソクラテスは「無知の知」において、自分の無知を知っているからこそ何でも見て、何でも学ぼうとする認識過程の2段階目に当たる。
 一方、ホッブスは17世紀当時のニュートン科学を反映して漫画の通り人間を機械に見立て、ただ動くところに注目している。
 こうした見方によって、大哲学者が16人にしぼられ、整理して容易に把握できるようになるのである。


第11話 最大多数の最大幸福

 18世紀イギリスのベンサムも名前こそ有名だが詳細を知らない人は多い。この1コマ目の通り、「最大多数の最大幸福」は彼自身の言葉ではなく、たまたま読んだ本の中にあったフレーズである。

 本当にアルキメデスみたいに「ユーレカ!」と叫んだらしい。ただそうとう内気な性格だったらしいので、大声で迷惑かけるほどではなく、小声だったのではないか? 4コマ目の話にもう1ついかにもなエピソードを付け加えると、生涯独身だったベンサムだが、実は33歳の時に大者政治家の縁者の女性を好きになり、長く文信を続けた後、60歳近くになってようやく求婚したところ丁重に断られ、2度と結婚の話をせず独身を通したという。
 第3話との対称性に触れると、プラトンは洞窟に映る影を見てあれこれと思い悩む“意識”が生じており、こちらのベンサムでは、ホッブスのようにただ動くだけでなく、快を求めて苦痛を避けるような意識が生じている点で共通している。
 

第12話 家族・市民社会・国家

 19世紀ドイツの哲学者、ヘーゲルの名前も非常によく知られている。いったいどんな哲学なのか、漫画だけ読むと絶対精神という名前が非常に難しく見える。

 難解さを和らげられるか少し補足すると、当時はナポレオンの活躍と没落、プロイセンの敗北と復活など様々な興亡があったが、そんな浮沈の激しい歴史でもヘーゲルは裏に何か大きな隠れた法則があると思っていた。なぜそう考えたのか、啓蒙思想の限界、近代人の限界を感じたからだという。
 裏に隠れている大きな絶対精神に着目し、小さな人知を超えた大きな絶対精神が実現する過程として弁証法による発展を論じ、ついに「現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的である」と言わしめるに至った。
 確かに科学的発見や理性的姿勢が現実化しているようにも見える人は多いだろう。近代行動哲学の最終4段階目にふさわしい大きさがあるといえる。
 一方、第4話のアリストテレスもギリシャ哲学の最終段階に相応しい大きさがある。どちらも大きいからこそ、大勢の哲学者が屈服した。
 その大きさに反旗を翻す哲学もまたあり、認識過程では理性を発見したデカルトであり、もう一方の行動過程では実存主義となる。


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