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#23 ”学級王国”を民主化せよ

「学級王国」と言う言葉を聞くことがある。最近は減った気がするが、よく「学級王国になってはいけないよ」と言われたことがあった。

まず「学級王国だ!」と言われるクラスの担任は、意外と力があることが多い(気がする)。そして、それを指摘する側の人は、ある意味「自分にはそんなことができないやめてくれ」のようなメッセージを発しているようにも聞こえる。
もちろん、学級王国についての問題点もよくわかる。しかし、そもそも学級王国とはなんだろう?何をもって学級王国だと言っているのか。その定義がハッキリしない限りは、人によって「学級王国」のイメージが違う。

私は、学級王国とは「教師のカリスマ性に依存している学級」と捉えている。どんなに大変な学級でも、教師のカリスマ性でぐいぐい引っ張り、まとめあげてしまう。引き出しをたくさんもっていて、楽しませてしまう。これは、ある意味”力がある”ともいえるだろう。しかし、それをされてしまうと、次の年もそのカリスマ性が必要になってしまう。全て教師(王様)のカリスマ性が故成り立っているのだから当然だ。

また、子どもたちにほんとうにつけたい力はついていないのかもしれない。全てカリスマ性に引っ張ってもらっては、”主体性”とか”ねばりづよさ”とか、”解決する力”などはほとんど必要なく、全てカリスマ性によって解決される。

しかし、様々な実践を取り入れたり、新しいことをやっている学級を「学級王国」と呼ぶことがある。これはどうだろう?私はこれを「学級王国」と呼ぶのは違うと思う。言葉の細かいことに注目して嫌な感じかもしれないが、王国であるからには”王政”なのだ。

学級王国が作れる教員はある意味ものすごい力をもっている。その力をぜひ存分に使って、学級王国から学級を民主的なコミュニティに変えることもできるだろう。民主主義の学校・教室を、自分の足元から広げていきたい。


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