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タイムスリム結婚式 2024年6月23日写真日記

 結婚式の朝。新郎が(新婦の名が登記されている)モスクを訪れ、新婦への愛を誓う。新婦の父親が承認の署名をする。父親が2年前に急逝しているため、新婦の兄が代理で署名。

 モスクの長であるイマームの前で新郎が署名。タイ深南部のムスリムはマレー系で、隣国マレーシアと習慣を同じくするが、新婦は結婚式の際にモスクを訪れることができないという。マレーシアはほかのイスラム国同様に、新郎新婦でモスクで誓いを立てるという。

 新婦が式場で(といっても新婦の実家の前)、モスクから戻って来る新郎を迎える。結婚指輪が見える。新婦のことは、彼女が2歳のころから知っている。

 結婚式が行われた実家の前。新郎新婦の親族は、淡いグリーンの衣装で統一、この日のために仕立てたと言っていた。

 実家向かいの空き地。多分、親族の誰かの土地。イスラムでは、犬は避けられるが猫はOK。

 客をもてなす料理。イスラム風が多い。地味な料理が多く、イメージされがちなカレー系の料理は少ない。

 新婦の母親。元々はバンコクの純粋な仏教徒だったが、10代で留学した英国ロンドンで夫と出会い、帰国後に改宗して結婚する。夫は2年前に急逝。

 新婦の上の兄。プーケットの小学校で教員をし、美術を教えている。ちなみに新婦も地元のパッターニーで教員をしている。ムスリムだが教えているのは国語(=タイ語)。

 新婦の妹。大学4回生。上の兄と姉が卒業した地元の総合大学に通っている。彼氏は陸軍兵士で仏教徒だったが、結婚を見据えて改宗したという(割礼したのだと思う)。

 新婦の下の兄。兄弟の中でただ一人、バンコクのマンモス校、ラームカムヘーン(ラムカムヘン)大学を卒業。誰でも入れる大学だが、卒業は難しいらしい。

 新婦の上の兄の嫁。夫と共にプーケットの小学校で美術を教えている。出身地はタイ深南部で最もテロが激しい地区(ナラーティワート県ルーソ郡)。

 新婦の仕事仲間。パッターニーの小学校の教員。真面目な性格で、新婦側の親族として来客をもてなしていた。

 新郎から新婦への贈り物が並ぶ。「白、黄、赤のケーキは宗教的に大切な贈り物らしいけど、色の意味は分からない」と、元々仏教徒の母親が話していた。日本のような嫁入り道具はなさそう。

 新婦側の親族としてもう一人、忙しなく働いていた女性。パッターニーから車で2時間のマレーシアとの国境の町、ナラーティワート県スンガイ・コーロック郡の病院に勤務する看護師。スンガイ・コーロックは、新婦の父親が急逝するまで、家族で住んでいた町。

 タイにもある、新郎新婦への寄せ書き。写真には撮らなかったが、(イスラムでは不浄の手とされる)左利きの女性がいた。アラブ語は左手で書きやすそうな気がする。

 新郎の親族が記念撮影。信仰により真面目な女性は顔をほとんど隠してしまう。

 新婦の実家の近所の人たち。10年ほど前に写真を撮った女の子が、すっかり成長して母親になっていた。

 偶像崇拝が禁じられるイスラムで、写真は偶像ではないのか? というツッコミがあるらしいが、「写真は鏡のようなもの」という解釈らしい。ムスリム女性の写真は撮りづらそうだが、実はみんな撮られ好き。

 国境の町のスンガイ・コーロックからわざわざやってきた、急逝した父親の仲間。新郎新婦に声をかけ、素早く食事をして、「バイクで3時間もかかった。帰りの運転が辛い」と言って、早々と帰っていった。

 新婦の実家の近所に住んでいる。何歳になるか聞いたことはないが、かなり美人なシニア。

 脱ぎ散らかされた、親族の女性たちの靴。タイ人(タイ民族)は華麗に着飾っても足元はただのサンダルといったことが多いが、ムスリムはそれなりに気を使っている。

 結婚式が10時頃に始まって、来客は夕方4時を過ぎても絶えることなく、食事を作り続けていても間に合わないほど。

 数年前、新婦(当時はもちろん独身)を車に乗せて走っていたとき、「彼氏の実家が近くだから寄ってほしい」と言われ、一緒に訪れたことがある。新郎はそのときの彼氏だったらしい。結婚まで数年かかった理由は、「お金を貯めていたから」。日本円で300万円ほどは貯めたのだと思う。

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