「もしフットボールが∫|ψ(x)|2dx=1で表されたら」迷走編
迷走の始まり
そもそもこの試論の根底にあるのは【ボールの動く軌跡=「ゴールの確率」がより高い位置へと時々刻々変わる痕跡】という筆者の仮説のサッカー観ではあるが、ある部分現在広く使われているxG(=ゴール期待値)ともいえる。
とはいえ、xGはゲームを通してのゴールへの期待値を積算して表現するのに対して、筆者の目標はボールの軌跡を【関数】で表現できないか、というものであった。
そして、詩論「もしフットボールが∫|ψ(x)|2dx=1で表されたら」を書き上げたときから筆者の迷走が始まった。
迷走1 試論で触れなかった要因
・選手交代
カタールW杯での日本代表の活躍はまだ記憶に新しいところだが、あの活躍も5人の選手交代というルールを最大限活用したからこそであろう。そこであらためて選手交代がゲームへ与える影響の大きさに気づかされたわけであるが、不覚にも筆者は「選手交代」という要素には触れていなかったのだ。
※ピッチ外のチーム関係者へのペナルティ(コーチの暴言等)によるプレーストップなど試論でカバーしていないケースはまだまだありそうだ。
迷走2 プレー再開時の要因
試論ではいくつかのプレーが止まるケースを想定し、それをどう取り込めばよいか示唆したつもりではあったが、その対応・解決策があまりに杜撰過ぎた。
・スローイン ボールが出なかったことにする
・セットプレー とまらなかったことにする
・ドリブル なかったことにする(パスと同じ)
とにかく「連続した関数」という仮説にこだわった結果である。
これはいうまでもなくそれぞれのケースで再開時のゴール期待値を検討せねばならないだろう。
当然、プレー再開時の周囲の選手の位置取り、敵味方の人数、個々の選手の体の向き等のすべてをふまえることが大前提となる。
これはちょっとした思考実験でも再考が必要なことは明らかであろう。
例えば、ピッチ上で止まったボールがあるとする。周囲の人の位置や粗密の程度、個々の選手の体の向きなどの要因でゴール期待値は上下変動するはずである。
※スローイン、セットプレーはゴール期待値の局面をそれまでのゲーム展開の文脈をすっかり変えるきっかけとなりうる。「勝利のための施策」としてより重大であることは自明。このテーマは別途深堀りが必要であろう。
迷走3 ルールの変更
近年はオフサイドの解釈に手が入り審判や選手のなかでも議論がかまびすしい。
それよりも決定的なのはゴールキーパーへのバックパス禁止は革命的なルール変更であった。
1992年に導入されたこのルールはサッカーを劇的に変えてしまった。改悪でなく改善だとは思うが、通時的なゲーム評価やプレーヤー評価の比較ができなくなってしまった。
簡単に言えば短編「メッシかマラドーナか」のような時代を超えた選手やチームの評価において、バックパス禁止ルールの前と後では選手の個々の判断も変わるしロケーション毎のゴール期待値も変わり、同じ指標で比較はできないことになる。
といった試論で触れられなかった要因があまりに多く、それらを無視するわけにはいかない、ということに試論脱稿後気づかされたわけである。
が、それよりもなによりも決定的だったのは、
迷走3 そもそも関数にならない!
サッカーという競技が様々な理由でプレーが止まる、ということは試論のなかで指摘したことだが、それを強引に連続させて一つの関数にする(ひとつのグラフにする)ことはあまりに短絡したやり方、考え方であった。
ひとつひとつのプレーシーンの「ボールの軌跡」を追いかけても関数になどならないのだ。
仮説として掲げた以上、一応手作業でも個々のゲームの実測を試みた。
過去に手作業で記録したデータとそれをグラフ化したものを下記に掲げる。
※作業
ピッチを12分割してそれぞれのロケーションにおけるゴール期待値(公開されていたMLSのロケーション毎のxG平均値分布図を引用)と実際のボールの軌跡(動画精査)から手作業でデータ化したものをグラフ化)
① アーセナル 2:2 トッテナム 20190902
データ実測当時のコメント:
打ち合いの様子がうかがえるスコア結果だが、アーセナルがボールを支配する局面が多く、攻撃も連続的であった。ただし得点にはなかなかつながらず、課題を残す結果となった。
一方のトッテナムの攻撃は散発で、序盤に得点できたことでドローに終わったが、点差が開いて前がかりになったアーセナルの勢いを止められなかった。カウンター主体とはいえ、こちらも攻撃に課題を残したと言えよう。
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グラフのどこをどうみたらこんな上記のようなことが読み取れるのか?
われながらいい加減なものだ、と嘆息することしきりである。
② ライプチヒ 1:1 バイエルン 2019/9/23
データ実測当時のコメント
前半早い時間に得点したバイエルンはライプチヒのカウンタを警戒して慎重にボールを回すポゼッションに終始。
後半、4-4-2のフォーメーションに変えたライプチヒは中盤の攻守でバイエルンと互角になった。
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グラフのどこをどうみたらこんな上記のようなことが読み取れるのか?
われながらいい加減なものだ、と嘆息することしきりである。
③ ブレーメン 0:3 ライプツィヒ 20190920
データ実測当時のコメント
Вердер 0:3 Лейпциг
xPG game flow (trial)
Upper 1st half,. Lower 2nd half
X axis : numbers of pass
Y axis : xPG
+ Part : Вердер
- Part : Лейпциг
Based on the below : https://t.co/6gmYRWyiSw https://t.co/QZky3IvADc
Score
1st half 140th pass. 1 Лейпциг
289th. 1 Лейпциг
2nd half 284th. 1 Лейпциг
1 グラフの頂点 : 各プレーヤーのボールタッチ
2 ボールが止まるケース → とぎれないプレーとして描画
例 ボールアウト、ファール(オフサイド含めて)、ゴールキーパーのキャッチ、レフェリーボール、
3 キックオフから得点までの確率分布の積分∫を1とすることで調整
4 ドリブル、コーナーキックは、起点から終点までのパスとみなす
(1) グラフからそのまま読み取れること
ビルドアップ、ショート/ロングカウンタ、クリア、ショート/ロングパス、
(2) 推論が可能なこと
プレーヤーの密集度(パスの長短から)、ひいてはスペースの有るところ、
本グラフの目的
ゲームフローの可視化。このグラフをゲームの"棋譜"として一試合の展開をまるごと想像できるようにすること。
グラフ作成上の課題 自陣でのボール回しか敵陣でのビルドアップか区別がつけられない
→ ボールタッチがどちらのプレーヤーか色分けできればいいが、今のところできていない。
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実測したゲームの周辺情報を付記しているが、グラフから読み取ったこと(読み取れなかったこと)をまるで記述していない。
実測3回目ですでに仮説は成立していないと筆者は気づいてはいてもそれを表明する誠実さに欠けている。
われながらいい加減なものだ、と嘆息することしきりである。
④ レバークーゼン ライプツィヒ 20191014
データ実測当時のコメント
Leverkusen 1:1 Leipzig
ポゼッションはレバークーゼン 61%に対してライプツィヒ 39%であったが、ボールはライプツィヒがレバークーゼン側に押し込む時間が長かったようだ。
レバークーゼンはボールを素早く繋ぐいいチームだが、スコア以上にライプツィヒが優勢だったことをグラフは示している。
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グラフのどこをどうみたらこんな上記のようなことが読み取れるのか?
われながらいい加減なものだ、と嘆息することしきりである。
というわけで、近似しても関数にはなりそうもない。
というよりもともと「関数になるとしたら...」、「波動関数であわらすことができたら...」という仮定から始まったイメージである。できるわけがなかった。
関数あるいはグラフの美しい曲線によって、
① 監督論
往年のテレサンターナやロバノフスキーからペップ・グアルディオラ、ラングニック、クロップなどの名監督の棋譜の解析、
あるいは、
② ユニット論
1982年のブラジル代表の黄金の4人、
1984年のフランス代表のシャンパン・サッカー、
1980年代の読売クラブ、
などなど、
一定の可視化ができるのではと考えたのだが、見果てぬ夢となった。
迷走4 といよりヘタレの方針転換1
関数やグラフをあきらめて、この際人文系の論考に切り替えるか
たとえば、エイゼンシュタインのモンタージュ理論を援用して、サッカー監督のプレーモデルを語る、など。
迷走5 といよりヘタレの方針転換2
サッカー戦略史をロシアフォルマリズムのアナロジーとして読み直す、さらには監督論に。
が、しかし、このままでは終われない筆者としては別の成果を出せないものか、さらに妄想を重ねた。
迷走6 というよりヘタレが今一歩踏みとどまる1
例えば関数にならなくともこれら成果物から一定のパターンを見い出して「プレーヤー個人の貢献度の可視化」ができないものか。
あるいは「棋譜:ベストマッチ論」につなげられないものか。
とうわけであらため仮説そのものの再考をしてあらためて下記ビジョンが浮上してきた。
、
サッカーが「非連続体であるサッカーのプレー=ソーンひとつひとつの積み重ね」であるならば、
f(x1) + f(x2)+ f(x3) ……= f(x)
でゲームは構成されるわけで、ゴールが決まった一連のシーンがまさにその試合の本質を反映しているわけだ、と。
であれば、試合後のスポーツニュースやSNSで報告される「ハイライト映像」というのもゲームの本質を最低限直接的にあわらすツールであり表現形式である、ということが納得できよう。
・シーンごとに別の関数、
・個々のシーンにはゲームの印象というより本質が詰まっている、
結局、詩論「もしフットボールが∫|ψ(x)|2dx=1で表されたら」は「サッカー:ハイライト映像」論の理論的裏付けとしてみなされるのがぎりぎりの価値かもしれない、という再認識。
ここにいたって筆者の仮説は「サッカー・ハイライト映像」の理論的裏付けになりうる、という一定の成果なり結果に到達するのであった...
迷走に次ぐ迷走の結果、一周してもとの位置に戻ってきたような徒労感とこの「泰山鳴動ネズミ一匹」感という脱力感が筆者を襲った。
こうなったら「サッカー:ハイライト映像」論をさらに妄想を深めてタイムパフォーマンス観点からのファスト文化論にまでつなげるか、とつぶやく筆者。
そして誰も笑わなくなった...
さらに妄想は続く...
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