見出し画像

「自然とは」 養老孟司氏

https://youtu.be/WOuVFUcmdfo

「自然とは」養老孟司氏(文字起こし)

Q. 先生にとって「自然」とは?

A. 僕は、まあ、うるせえからさ、そいう所は。自然っていうものを定義した時に、「人が意識して作らなかったもの」って定義しています。「人が意識的に作らなかったもの」。意識的にしつらえたものは全部自然じゃないですね、意識的なものですね。

Q. 人間は自然に対してどう接して行けばいいですか?

A. そういう議論がね、そういう質問にうるさいことを言うんだけど、もうひとつ付け加えると、実は人も自然なんですよ。どういう意味かっていったら意識的に作られていませんから。

意識的に作った部分と、そうでない部分っていうのを、区分けしていかないと、僕の言う自然に理解ができない。だから、自然にどう向かい合うかって言うのは、自分が自然だって言うことをうっかりしたら忘れちゃうんですよね。

自分が自然であることの典型が体(からだ)なんですよ。そうでしょう。今あなた何キロあるのか知らないけど、自分の一番始めって意識してないでしょう?0.2㎜の卵ですよ。受精卵。そうすっとね、0.2㎜の卵が、例えば60㎏あるとするでしょう?その60kgどっから来たんですか?(質問者答える)そうです。全部食べた物でしょう?という事は、完全に自分って、周囲と繋がっちゃってるんですよ。物質的に考えたら。だから、田んぼはあんたでしょ?将来のあんたでしょ?だけどその感覚、いまゼロですよ。それね、昔の人はあったんですよ。だから「土から生まれて土にかえる」って言ってた。

その感覚が無い人が、だから、自然と人間が対峙している。こう考えちゃうんですよ。ぜんぜん違うんですよ。おまえさんどこにいる?って言う話で、一部に過ぎないでしょ?それ要するに、自然が物質でできているとしたら、一種のその結節点(つなぎ合わされた部分。結び目。)みたいになってってね、周りがず~とこう曖昧になっていって、塊(かたまり)がそこに出来ちゃってるんですよ。あっちこっちに。その塊があんたでしょ?って話で、その塊はいずれほどけちゃうんですよ死んで。別の部分は別の人に入ってくかもしれないんで。だから、そっちから考えると世界繋がっちゃってるから。自然っていう言葉が消えちゃうんですね。


Q. ふれあうとか、対峙するとか、向き合うとかいう以前に自分も自然の一部である。

A. そうなんですよ。人工的な物は意識的なもので、自然と対立的な物は意識的な物で、その意識そのものは、自分で主導権を持ってないんですよ。つまり、意識がある時はね、意識があるから、何かを自分がやってるっと思うわけでしょ?体も自分が動かしてるって思っている。だけど、意識そのものが出てくる時は、朝、目が覚めるわけでしょう。これ意識が目が覚めようと思って覚めてるわけじゃないんですよ。だから目覚ましがいるじゃないですか?じゃあどこから、どうして意識が出てくるのか?って言ったらひとりでに出てくるんですよ。これ体の都合でしょう? 寝るときも完全にそうで、しっかり意識して寝ようと思ったら目が覚めますよ。ひとりでに寝る、無くなるんですよ。なんと意識って自らの主導権を持ってないんですよ。ところが意識がいったん出てきちゃうと、つまり目が覚めちゃうと、てめえがやってると思ってるんだよ意識は、そうでしょう?やってないよ。頭殴られたら消えちゃうもん意識。だけど意識主導でやってきた結果が今の世界でしょう?


僕が一番まあ分かりやすく、「ああすればこうなる」ってきただろう?「ああすればこうなる。こうすればああなる。」って言うのが意識ですから。

(Q. でもじつはそれは自分に主体性とか主導権があるわけではない?)だって生きてれば死ぬでしょう?それは自分でやってんですか? 同じ「ああすればこうなる」でもね。

(Q. そう考えると自然っていう言葉、全ての事に当てはまってしまうような?)ええ、いやいや、都会なんか典型的に不自然でしょう?そういう意味では。意識的な物しか置かないんですよ。これは驚くべきもんで、だからよく、ほんとに、これもよく言うだけども、銀座のね、道に石ころ落ちてないでしょう?あれ落ちてたら怒られるんだよ。誰かがけつまずいて転んで足の骨を折ると、銀座だったら、港区の区役所が告訴されるんですよ。僕が山へ1人で行ってさ、石にけつまずいて転んで足を骨を折ったって言ったら、気をつけて歩きなさいって怒られるだけだよ、でしょう?

世界の見方が違っちゃうんですよ、都会と田舎では。だからその意識の世界ではそういうできるだけ、無意識なものが世界中に満ちているっていうことを、気付かせない為に、人の作った物しか置かないっていう暗黙の前提がでてくるんですよ。だからマンションに住んでて、例えば、丸の内の会社に通っている人っていうのは、一日のうちにおそらく意味の無いもの見ないんですよ。人間に映っているものは。

(質問者略)暗黙うちですよそれは。明らかにそうでしょう。だから、それを皆さん、だって、だから銀座のさ、通りに石ころが転がったらどうする。邪魔だからどけるでしょう。だから僕は、課長クラスの官庁の人がいたら、机の上に「たくあん石」置いとけって言うんですよ。そしたら来た人がこれなんですか課長って。石だよ。なんでこんな物置いてるんですか?世界ってそういうもんだろ。外行って下さいよ。河原行ったらゴロゴロしてますよこんな石が。あれなんであれあんの?しかも人間が出てくるよりずっと前からずっとあるんですよあの石。それを全部片付けているでしょう。

Q. 社会を良くしていくためのヒントはありますか?

それで僕は今度、本を書いたんですけどね。『遺言』っていうのを。一番問題になるのはやっぱり、感覚から入るものが、非常にこう限定されてしまっているっていう所に問題を感じているんで。これ、無意識ですから。

感覚から入るものをね。基本的に無視してしまうっていうのが人間の特徴なんですよ。そして、いったん抽象化しちゃうと。だからその、入るところを、どんどんへずっていってもあんまりわかんない。

だから冷暖房完備の部屋に閉じこもっていれば分かるけれども、周りに置いているものは全部、意味のあるもの、人が使うもの。気温は変わらない。おひさまは動かない。ここにいりゃ違うでしょう? 風が吹くし、鳥の声がするし、これどんどん「光」移ってますよ。移動してますよね。それ嫌いでしょ。今の人。講演会なんか行くと全員がだって閉じ込められたところで座ってるもん。全部一定でしょう周り。それ何してるのか?って考えると、感覚を遮断してるんですよね。

今さ、そこに書いてるからさ、白って書いてますよね、漢字で、白でしょ。それ黒だもん。それ屁理屈じゃないんだよ。だからネコに字を教えられないんですよ。わかります。動物は感覚が先だから。だから、黒ペンで白って書いたら、彼らは頑として黒って読んじゃうんですまず。

人間はそれ無視できるんです!なんと。黒字で書いて何が白なんだよ!言わないんだよ人間は。それぐらい滅茶苦茶な生き物なんですよ。それで万物の霊長とかって言ってんだからさ。そこで落とされているのは、じつは素直に感覚から入ってくるこういう。。

それがどういう影響を与えるんですか?って必ず聞くんだまたバカが。それが理屈で言えるんだったらもう。。わかるでしょう? 黒が白になってるんだからさ。そこ気にしなきゃいいもう。

だから僕、子どもたちでもそうで、説教はしない。虫取り連れて行くだけ。以上終わり。あとはお前らが世界に触れればいい。何学ぼうか知ったこっちゃないよ俺は。ねえ。わかんないんだもん。80の爺さんがそんなこと分かるわけないんだからさ。子どもが何吸収しているか? ただそういういろんなものを吸収させてやりたいっていうのだけはある。

そういうふうに考えたとたんに、学校なんてめちゃくちゃだと思う。ガキ集めさ、ねえ、静かにさせてんだから完全に虐待だよね。

昔はあれで良かったって言う。なぜなら僕らのころは、こういうところしか無かったから。それを捕まえてきて、座らせておくって意味があったけど。今は逆じゃん。家がもうそうなんだからさ。学校みたいなもんなんだ。どんどんひっぺ返して外に出さなきゃいけないって思うんですよ。

みなさんもそうだと思うけど、やっぱそういうのがあるから、こういうことやってるんでしょう?(質問者略)それでもしょうがないんですよ。うんそう言うしかないんだから。(質問者略)

その時それがどうなりますか?って阿呆!馬鹿野郎!ってね。それが生きてるってことなんですじつは。あたりまえですよ。人生に答えなんて無いでしょう?で意識で考えると必ず、ああすればこうなるで、目標、未来を考えちゃうからね。それ考えていいんだよ別に。だけど半分は空けとかなくちゃいけない。ブランク(余白・空白)で。

それは、僕、政府の、村山内閣ですけれども、危機管理の委員会っていうのに初めて出さされてそう思ったもん。

僕が最初に思ったのは、危機管理の委員会って言うから。管理できない状況を危機って言うんじゃないですか?って。だから、もうあの段階で、日本人って高級官僚は、管理できない状況っていうのがあってはならないとでも思ってるんですよ。だから想定外って言い出すんで、人生って想定外であたりまえなんだよね。

だから昔の人はそういう所、答えは簡単で、昔の人はどう思ったかと言うと「覚語してます」って言ったんだよ。そうでしょう覚語っていう言葉が死語になりました。覚語が無いから危機管理って言うんですよ。。(質問略)生きてりゃいいんだよ。(2018.4.3鎌倉)(YouTube 2020/05/22 公開)


-------------------------------------------------------------------------  

【編集後記 私見】

「cinemacaravan film works」さんが、制作してくれた、養老孟司先生の「自然とは?」。大変感銘を受けたので、自らの勉強のためと思い文字おこしさせてもらいました。

個人的に、大好きな仏教思想、「一即一切、一切即一(いちそくいっさい、いっさいそくいち)」「縁起(えんぎ)」「身土不二(しんどふに)」という、ブッダのさとりの境地を、大変わかりやすく、語って下さっているように思え大変有難かったです。

ブッダのさとり、縁起とは、不可思議(ふかしぎ=人間の思いはからい、思慮分別をこえている)、不可得(ふかとく=あらゆる存在に固定不変な実体・本体を認めず、その存在が知覚されない。)であるという本質にも、通ずるお話と感じました。

養老孟司先生、「cinemacaravan film works」さんに、こころより感謝致します。

この文字起こしが、皆さんのお役にたつ事があればとても嬉しいです。

最後までお読みいただき有難うございました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?