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京極夏彦〈百鬼夜行シリーズ〉全レビュー|第6回:『塗仏の宴 宴の支度』『塗仏の宴 宴の始末』

2023年9月、京極夏彦の〈百鬼夜行シリーズ〉最新作『鵼の碑』が、17年の時を経てついに刊行された。第1作『姑獲鳥の夏』刊行からおよそ30年、若い読者には、当時まだ生まれてすらいなかった者も多い。東大総合文芸サークル・新月お茶の会のメンバーが、いま改めて〈百鬼夜行シリーズ〉と出会う連載企画。毎週火曜更新予定。

 『塗仏ぬりぼとけの宴』は百鬼夜行シリーズ第六作の大長編であり、また百鬼夜行シリーズそのものである。

 本作は『宴の支度』ならびに『宴の始末』の二部構成になっている。『宴の支度』の短編六作と『宴の始末』での長編が本作の重厚な物語を支えている。さて、『塗仏』といえば、シリーズの転換点として語られることが多い。たとえば「ミステリ密度の高さ」、あるいは「キャラクター描写の濃度」など、以前/以後で作品の性格が異なっているようにも、たしかに思える。野崎六助はこの変容について、著作『超絶ミステリの世界ー京極夏彦読本』のなかで「ミステリの硬質さは放棄されたのではないが、後景に退きつつあるようだ」、「ミステリとしての求道性が薄まったということではないが、力点は、シリーズの持続という要請に移っているのだろう」という風に、ミステリ小説としての新規性——少し踏み込めば「新本格らしさ」——とシリーズとしての安定感をややトレードオフにしようしているきらいがあると指摘している。振り返ってみると、シリーズを経ることに、キャラクターたちの過去あるいは因縁が物語の中心に据えられることが増えており、そうすることでシリーズの連続性がより明確さを帯びてきている。それは最新作の『鵼の碑』でも同様であり、やはり『塗仏』もそうである。本作では中禅寺秋彦の事件であることが明言され、そして彼の代名詞でもある「憑物落とし」に迫る話運びがされている。シリーズの黒幕的存在も出現し、多くのファンは彼の再登場を待ち侘びているのではないだろうか。

 この変容を「妖怪をモチーフにしたミステリ小説」から「ミステリをモチーフにした妖怪小説」への転回と見るのはどうだろう。作中で跳梁する妖怪の数は増え、さらには活劇シーンに割かれる頁数も多くなった。少し怪しい議論だが「憑物落とし」そのものが、小説において探偵が用いる推理からゴーストバスターによる必殺技へと様相を変化させているとも、見ることができるように思う。それは以前/以後で「憑物落とし」を作用させる相手が変わっていることから見てとれる。

 しかしこの見方も、レトリックを呈して何か語っているように見せかけているだけでいまいち釈然としない。それはこれまでの議論が、どのように『塗仏』がシリーズの転換点となったかに踏み込んでいないからだ。

 それには本シリーズの肝である、作品の構造を確認する必要がある。前作『絡新婦の理』での蜘蛛の巣的構造や『魍魎の匣』における「匣」のイメージを具現化した構造など、百鬼夜行シリーズはある構造体がストーリーによって肉付けされた小説だ。京極夏彦といえば読まれることに対する紙面上の美意識が有名だが、小説の構造についても同質の美学を持っているようだ。それは『鵼』の目次ページにもよく表れている。では『塗仏』の構造はなんなのか。それは作者が明言している。『塗仏』はフラクタルな小説であると。

 フラクタルとは自己相似性を持つ図形のことだ。その一部が全体と同じ構造を持つ。ピンチインしても、ピンチアウトしても常に同じ構造体が現れる。『塗仏』をフラクタルに描こうとした理由を、著者はインタビューにて「ワンセンテンスと小説全体が等価であること、形は一緒でヴォリュームが違うだけ、というのは一種の理想だと思ったわけです」と答えている。京極は同じインタビューで「大抵はどこか失敗する」と述べているが、少なくとも『塗仏』におけるフラクタルな試みの一部ははっきりと成功している。まずひとつは『宴の支度』における短編群と『塗仏』全体の相似だ。とくに「ぬっぺっぼう」は『塗仏』全体から解決編を差っ引いたものとほぼ同じプロットに沿っている。このようにして、基本的に短編はそれぞれ同じ構造を取っているし、さらには『宴の始末』もやはり同じ構造を取っている。つまりは『宴の支度』短編-『宴の始末』-『塗仏の宴』とフラクタルが完成されているのである。

 そしてさらに、このフラクタルの後ろに「百鬼夜行シリーズ」を付け加えたい。言い換えれば『塗仏』は「百鬼夜行シリーズ」と同じ構造を取っているのではないかと考えてみたい。たとえば『宴の支度』における短編は、『塗仏』を含めて、一編ずつそれ以前の作品を象徴しているように見える。関口が不思議なものなどなにもないと言われ幕を開ける「ぬっぺっぼう」と『姑獲鳥の夏』に、セミナーあるいは謎の研究所に治癒される「うわん」と『魍魎』、記憶が鍵になる「ひょうすべ」に『狂骨の夢』、中禅寺敦子の取材がきっかけとなる「わいら」そして『鉄鼠の檻』、さらには木場が謎めいた言葉を聞く「しょうけら」と『絡新婦』。最後に「おとろし」と『塗仏』は、どちらも『絡新婦』の続編である。「おとろし」では『絡新婦』から物語を引き継いでおり、『塗仏』は『絡新婦』からシリーズを引き継いでいる。では、このフラクタル構造はなにを意味するのか?

 『宴の支度』がこれまでのシリーズと同型構造を持っており、『塗仏の宴』がシリーズとのフラクタルになっているならば『宴の始末』は『塗仏』以降のシリーズを示唆するものになるはずだ。『宴の始末』では中禅寺秋彦の過去が暴かれ、解決には中禅寺秋彦のみならず、複数のキャラクターが総力的に関わっていく。そして「憑物落とし」は関係者を治癒する作用がその肝だったのが、最後には「犯人」へのとどめを刺すための武器として変容することが示唆される。それは、『塗仏の宴』以前/以後の変移の姿に他ならない。

 京極夏彦は本作で大風呂敷を広げたと同時に、その閉じ方までを書き上げた。『塗仏の宴』はそれ自体が大伽藍であり、それでいてさらには、その向こうにある超巨大建築の設計図にもなっているのだ。

(月見怜)

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