見出し画像

『オクトローグ 酉島伝法作品集成』酉島伝法 著(早川書房)

毎月更新 / BLACK HOLE:新作小説レビュー 2020年7月

 究極の独創的作家・酉島伝法、デビューから九年間に書かれた短篇をイラスト付きで集成。書き下ろし作品一篇を新たに加えた全八篇。解説・大森望。

 オクトローグ。OCTO-LOGUE。それは八つの物語。八つの意識に寄り添った、八つの日常の物語だ。

 それは例えば、環形動物へと姿を変えられた受刑者の物語。生物の死骸を処理する業者の物語。

 あるいは花粉を飛ばす植物の物語。初の狩に出かける瑞々しい少年の物語。

 だが、物語とは単なるエピソードやものごとの羅列ではない。あらゆる物語にはナレーターが存在し、原理的にものごとはナレーターの主観を通して伝達されるしかない。

 だが、酉島伝法の作品であれば、その語る主観とは常に徹底的な、偏執狂的なまでに隔絶した他者だ。語られるのはあくまで主観にとっての日常であり、それは読者にとっては異形の異常で、けれども異様なリアリティを持った異界だ。

 それは例えば、無象鎖むぞうさに繋がれた環刑囚かんけいしゅう甜瓜器官めみみが捉える土中の世界。万状顕現体の瘤皮を切り開いて妥蠡だり囊腫体のうしゅたいを捕獲する特掃会員の世界。

 あるいは鎖撒下さざんかに耐え忍んで華の精を飛ばす孚蓋樹ふがいじゅの世界。奎漏蚪 けいろうとを繰ってかつて自らの曩祖 のうそを運んだリシマニ彗星を目指す擬峩ぎが族の世界。

 漢字の連なりのビジュアル的インパクトが誰も見たことのない光景を幻視させ、同時に発音や意味が物語世界と我々の世界の連続性をさり気なく示す。二律背反を可能にするハイセンスな造語の奔流は、溺れそうになりながらも語り手の言葉に耳を傾ける者を想像力と創造力の極北へと誘い、やがて読者は自分が造語だらけの文章を苦もなく読み進めていることに気付く。

 そのときにはもう、全てが氾篆はんてんしている。

 あれほど奇妙に見えた物語世界の獸人じゅうにんたちはいつしか親しき蚘人ゆうじんとなり、その呼詠こえ言波ことばも馴染み深く感じる。あたかも己媒者こばいしゃのごとく讀者どくしゃは獸人たちと思紋しもん同調し、異質な思考恢絽かいろ言語諫嚇かんかくは内面化される。

 裳漿もしょう履初はきぞめを行なって累單識るいたんしの中で生活し、赤錆びた泥水の満ちた駅構内で列這れっしゃの到着を待ち、孚蓋樹の内界うちふところで生を謳歌する無数の飛蠡とり遁坊とんぼうたちと戯れ、容識体からだを持たない数宙マスモス生まれたちと禮野レイヤー上で会話する。

 こうして物語世界と同一化した讀者がその意識を嚴実げんじつへと向けたとき、眼前に広がる世界は一変している。もはやそこに跋扈する無自覚な奇妙さを避けて通ることはできない。我々は既に酉島宇宙の獸人なのだから。

文責:グーテン=モルガン


この記事が参加している募集

推薦図書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?