『地雷グリコ』青崎有吾 著(KADOKAWA)
BLACK HOLE:NOVEL 2023年11月
一見ごく普通の高校生、射守矢真兎。彼女は勝負ごとにめっぽう強かった——
本書『地雷グリコ』は、ギャンブルもの、とくに『嘘喰い』への憧れを折に触れて口にしてきた青崎有吾が、満を持して放つギャンブル小説であり、このジャンルの里程標となりうるような傑作に仕上がっている。
ギャンブルものと本格ミステリは諸々の点で似ている。本格ミステリが犯人と探偵との頭脳戦であるのに対し、ギャンブルものはプレイヤー同士の頭脳戦だ。犯人が探偵に対して奸智にたけた罠を仕掛け、その嫌疑から逃れようとするのと同様に、ギャンブルにおいてはプレイヤー同士が互いを陥れようと罠を仕掛け、騙しあう。
本書ではその頭脳戦の要素に、本格ミステリ作家としての青崎有吾の資質が存分に活かされている。作中で真兎はときに巧みなミスディレクションを仕掛け、ときに驚きの仕掛けを張り巡らせることによって対戦相手を追い詰めていく。例えば「だるまさんが数えた」では壮大な構想に基づいた驚きの方法で勝利をおさめるし、「自由律ジャンケン」では発想の転換とそれを隠すミスディレクションで対戦相手の虚をつく。対戦相手、ひいては読者が予想だにしない手段によって勝利を重ねる真兎のスタイルは本格ミステリと通じるものがあるといっていいだろう。
一方でギャンブルものと本格ミステリとの間にはいくつかの重大な差異が存在する。二つの間の一番大きな違いは、ギャンブルものでプレイヤーが繰り広げる勝負がゲームという枠組みの中で行われているものなのに対し、本格ミステリで探偵と犯人が繰り広げる勝負は作中内での現実の出来事として行われているという点だ。ギャンブルはゲームであるから明確に勝敗が分かれるものであるし、中途の形勢が明確な形で第三者にも提示される。だからギャンブルものでは劣勢からの逆転が描かれることが多い。
青崎有吾は、ギャンブルの醍醐味の一つであるその逆転を描くのが非常に上手いのだ。本書で真兎の前に立ち塞がる敵は、誰も彼も一見強大だ。どのゲームでも真兎は当初劣勢に立たされ、徐々に追い詰められていく。その追い詰め方もなかなかに容赦がなく、読者である我々でさえもが、今度こそ真兎は敗れるのではないかと思ってしまうほどだ。しかしその劣勢を、真兎は序盤から計算しつくしていた手法によって、いとも簡単に跳ね除けてしまうのである。この逆転の鮮やかさこそが仕掛けの魅力を引き立て、本書のギャンブル小説としての面白さを一段引き上げている。
ぜひギャンブルものの魅力がつまった本書を通して、ジャンルそのものの面白さを再確認してみてほしい。
(葉月)
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