見出し画像

『ブラック・ハンター』ジャン=クリストフ・グランジェ 著(早川書房)

毎月更新 / BLACK HOLE:新作小説レビュー 2020年10月

 はっきりいってグランジェはあまり人に薦められるタイプの作家ではない。クセが強すぎるし、グロテスクだし、物語のテンションが激しく上下するし。代表作『クリムゾン・リバー』が映画の興行でかなりの知名度を得た一方で、その原作がいまいち評価されてこなかったのもそのせいだろう。だが、グランジェという作家を好きになれるかはともかくとして、かれの小説が無二の読書体験をもたらしてくれることは保証する。

 グランジェはフレンチミステリ界の至宝だ。

 本書は『クリムゾン・リバー』の20年越しの続編として書かれた。前作を読んだ方はわかると思うが、そもそもあの小説に続編など〈ありえない〉はずなのだが、本書は前作主人公ニエマンス刑事を再登場させた正真正銘の〈続編〉である。いちおう経緯としては、『クリムゾン・リバー』を連続ドラマ化するにあたってグランジェが新作を書き下ろしたらしく、詳細は本書巻末で説明されている。
 ここまで聞くといよいよ「無理やりつくった続編なのではないか?」という疑いが拭えなくなってくるが、さすがにそこはグランジェだ。本書を読み進めていくと、〈どうしてニエマンス刑事が再登場しなくてはならなかったのか?〉ということが、いってみれば〈裏テーマ〉になっていることがわかってくる。

 タイトルにあるブラック・ハンターとはナチスの秘密部隊として結成された前科者たちによる「人狩り」集団。かれらは第二次大戦中に暴虐の限りを尽くした。そして2018年。ドイツ・フランスの国境アルザスで起こった殺人事件の背後にも、なぜかこの黒いハンターたちの存在が見え隠れする──。
 事件の内容は例によって猟奇的だ。殺害されたのはドイツの有名自動車メーカーの社長。かれとその一族は代々狩猟を嗜んでいて、かれは内蔵を取り除かれ、性器を切断された状態で殺されていた。ニエマンスはここに強い「復讐」の思念を読み取り、独自の捜査を進める。

 前作では暴力的で狂気に満ちていながらも、非常に有能であったニエマンス。だが本書では見る影もない。身体は昔のようには動かないし、推理も間違ってばかり。それでいて暴力と狂気は残ったままだ。ボロボロになりながらも、かれは闘うことをやめられない。致命的に壊れてしまっているからだ。
 なぜそんなかれが前線に戻されたのかといえば、この連続殺人がニエマンスにしか解決できないような〈壊れた事件〉だからだ。そしてここに来て、前作において語られた「クリムゾン・リバーの呪縛」が別の形で提示され、ニエマンスの新たな戦いが幕を開ける。

 ドラマ原作として書かれたこともあり、ストーリーの厚みやグランジェらしい酩酊感については、前作にとうてい及ばない。全体として軽量というか、淡々と進んでいく印象がある。しかし、白眉は終盤の対決シーンだ。犯人とニエマンスの決闘──心裡と外連を書かせたらグランジェは他の追随を許さない。ここに来てその小説技巧がこれでもかというほど光る。

 単体で完結していた『クリムゾン・リバー』と異なり、本書は最初からシリーズ化を見据えた作品でもある。きっとここで書き切られなかった部分も続巻で掘り下げられていくことだろう。また、グランジェはこの他にもまだまだ未訳長編が多く残されている。今後の翻訳紹介にも期待したい。

文責:夜来風音
 

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?